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<見逃し動画>8月2日放送 
「闘いは、始まったばかり~感染症専門医・笠原敬~」
 
TVerでは配信されていません
 
8月2日放送の公式あらすじ

新型コロナウィルスとの闘いの最前線となった大学病院で何が起きていたのか?次々搬送されてくる患者たち…そこは戦場だった。未知のウィルスに立ち向かう人たちの記録。
 
<出典>NHK公式

8月2日放送のネタバレはここをクリック
2020年に入り新型コロナウイルスによる感染症は広がり続けている。
 
4月に緊急事態宣言が出された。その頃から患者数が急増し死者も出るように。
しかし世界的にもこのコロナウイルスについて確実な情報は未だに不明、さらには対症療法以外に施しようがないため、とにかくは感染を広げないこと、感染者を死なせないことが最も重要となっている。
 
4月に入って奈良県の感染症対策センターには患者が続々と運ばれてきた。
予想を上回る増加に病院側も、謎のウイルスへの対応のため十分と言える準備も難しいままに多忙となってしまった。
医師たちも看護師も、数が足りない場合は事務の人たちも普段の病院業務をこなしつつ、未知のコロナウイルスへの対応をしなくてはいけなくなったことで心身ともに大きな負担を感じて緊張した日々を送っている。
 
感染症専門医・笠原敬は病院内も、そしてまだ症状が出ていなくとも日本に暮らす人の全員が「緊迫した状況」を同じレベルで理解しなければと考え、全員が同じ方向を見ないとこの感染症は収束していかないと言う。
 
取材班は病院側からの「記録に残したい」と依頼もあり笠原医師、そして病院と患者に密着し、病院内では何が起こっているのか取材を行った。
 
新型コロナウイルス、4月
笠原の勤める奈良県立医科大学では総数で992のベッドを用意している県内最大の病院。日本ではじめて「感染症対策センター」を発足させた。
ウイルス感染の陽性者が着実に増えるにつれ「疑い症例」の患者も増えて来ていた。
奈良県でコロナウイルスに感染した重症患者を受け入れられるベッドは8つ。
そのうち7つがこの病院にある。ここがいわば「最前線」でもあり「最後の砦」ともなっているのだ。
 
4月15日以降、患者は次々と運ばれてきた。50代の女性。PCR検査でも陽性、呼吸困難に陥っていた。
コロナに感染しているだけではなくコロナの症状がかぶさっているだけで別の病気も併発しているかもしれない、まさに全く得体が知れない感染症。
日に日に患者は増えてくる。
医師たちを悩ませていたのはまだコロナに感染しているという確定が出せていない「疑似症」(疑い症例)の患者だった。その患者用ベッドも確保しなければならなくなった。
さらには亡くなった人のPCR検査までもが次々と舞い込んでくる。
その日をどうしのぐか、必死に過ごす毎日。
 
感染症センターでは11人の医師が存在するが、まずは目の前の事に対処するのにでも精一杯の状況。
しかし笠原はもしコロナでなかった感染症だったらどうなるのか、コロナ感染症ではなくとも来院した患者が死亡してしまったら元も子もないのだと言う。
 
 
この段階でコンピューターによる患者の数のシュミレーションが出て来ていた。
奈良県下でも5月1日には患者数が116人にもなるというのだ。
これには担当の医師たちも驚きを隠せなかった。入院患者では100人超えという予想も。それとは別に疑似症も出るはずなのだ。
 
まだ民間への情報として、高い危機感がある感染症であるとは発表されていなかった。かつてなかった感染症。このままでは医療が持ちこたえられない。
 
次の日には笠原は病院部会(他の科も集めての会議)でシュミレーションの結果を発表した。
既に各科に依頼して、ある程度まではベッドを確保をしつつあったがシュミレーションの結果と照らし合わせると明らかに人手も病床も足りない。
そうなると「通常診療」を減らすしかない。産科などは他の病院へも行ってもらうように薦めるも患者側からは当然「なぜか?」と言うクレームが出る。
 
笠原は「この危機感を県民の人たちにも共有してもらいシュミレーション結果も公表していくべきだ。今まで隠してきたが医療崩壊を防ぐためには協力を仰ぐしかない」と言った。
 
笠原には大切にする流儀があった。
「現状を隠すのではなく、表へ出していかねばならない。」
 
救急要請や保健所からの問い合わせの電話が昼夜を問わず鳴り続ける。医師たちの疲労は色濃くなるばかり。
笠原は新規に「発熱トリアージ外来の設営」を始めた。一般外来に初熱患者が入らないようにするものだ。院内感染を防ぐために取らねばならない手段なのだ。
 
人手不足でトリアージの案内は事務方にも依頼するしかなかった、しかし事務方からは、やはり自分達がコロナに感染するのでは、と不安の声があがる。
笠原は皆を集めて丁寧に説明、さらにいつでも疑問や不安があれば説明するので臆さず質問してくださいとスタッフに語った。
 
4月30日には恐れていた無症状の陽性患者が出てしまった。
院内感染が起きる恐れがある。
予想通り笠原の正念場となってしまった。
 
しんどいと思ったら、負け
笠原医師は奈良県橿原市に生まれ、町医者だった父は地元で医者になりなさいと言った。父の教えの通り奈良県立医科大学へと進学。
卒業後は地元に残った。
27歳の時あまり主役にはならない科である「感染症」を選んだ。どちらかといえば「縁の下の力持ち」である。
 
ウイルスの感染爆発が起こらないと日が当たることはないだろうと思われているが「無くてはならない仕事」でもある。
いつも一つ先の景色を見ていた笠原は海外に出向き最新の治験をどん欲に吸収、実績が認められ、去年感染症センターを率いる事になった。
 
その矢先、未知のウイルスMERSに感染したと思われる患者が運ばれてきた。
MERSの検査では陰性。しかしここへきて新型コロナウイルスが「まさか、来た」のだった。
この日の為にすべてがあったと思った。
自分でも生きている間に本当にこういうことが起きるのかと思った。
 
実は今回の取材にも乗り気ではなかったがコツコツと陰でも頑張っている人達がいるということを伝えてもらいたいと思ったために取材を引き受けることにしたのだった。
たとえ日が当たらなくとも今日まで備えて来たから今の笠原達のような人がいる。備えてきた人たちが最前線で戦ってくれている。それを理解してほしい。
 
 
4月30日
とうとう入院患者から新型コロナウイルスの陽性反応が出た。無症状のため感染は全く疑われていなかった。感染拡大をさせないことが急務。
感染者が病院にいる現状を発表すること、隠さずに伝え不安をむやみに拡大させるよりも良いと考えた。
病院のHPでは笠原が素案(そあん)を作成した感染状態を公表する文章が発表された。
濃厚接触者であるスタッフ全員にPCR検査を受けさせ症状が出ていなくても2週間自宅待機とした。
周りからは色々な声があがる、そこまでやらなくても、など。
でも一時的に文句を言われようと、それは関係ない。
「やらなかったことに対しての責任が軽視されている」と考えているのだ。
 
 
5月2日
濃厚接触者達のPCR検査の結果は陰性、院内感染は起きていなかった。
事態は沈静化しているようにも見えて来た。
問い合わせの電話も減り入院していた患者の退院もどんどん進む。
シュミレーションによって一番危険と思われていた大型連休を乗り越えることが出来たのだ。
奈良県立医科大学でのコロナウイルスによる死亡者はゼロにとどまった。ようやく家族への電話をした笠原に笑顔が見えた。
 
 
5月14日
奈良県の緊急事態宣言が解除された。
しかし県は医療体制を見直すと言ってきた。
コロナで半分に削減した外科手術、コロナ用に確保していた病床をいかに減らすか。
元に戻す方向で話が進められつつあった。
診療縮小による赤字が2か月で15億円になり経営面でのピンチでもあった。
 
だが、その時笠原はまだもう一歩先を見ていた。
今の体制を維持したほうが良いというのだ。
 
第1波収束後、大阪への通勤や飲み会など、また学校から感染して家庭内で感染していく。
それは気のゆるみと共に感染の速度は第1波の時よりも早いだろう、そのほうが怖い。
第2波にどう備えるか。
「まだ始まり」なのだ。
 
笠原の病院では病院全体が協力し意識を変え始めていた。
それは嬉しい変化でもあった。
 
最初はコロナのために5割の削減は無理だと言っていた産科の医師を中心に、お産をする母親が感染した場合、生まれてきた子をどう取り上げ、どう隔離していくかの手順を産科にかかわる全員で話し合っていた。
 
玄関前では「発熱トリアージ」に本来の業務は事務方の監査であるにもかかわらず、交代制でトリアージ業務に参加してくれる人もいる。
こうして皆が同じ方向を向き、よりよく患者に、そして自分達にも安全に感染症に立ち向かっていくという共同意識が生まれたことが何より素晴らしいと考える。
 
 
プロフェッショナルとは
正解がたとえ無い、とわかっていたとしても正解を求めて考え続ける人
正解がないからこそ正解を求め続けられる。
こう笠原医師は語った。
8月2日放送の感想はここをクリック
感染症のプロフェッショナルがここにいた。
そして彼自身が「生きている間にこんな感染症が広がる」とは考えていなかったというほど急展開で広がってしまったコロナウイルス。
奈良県立医科大学病院ではこのように医師、看護師、職員の皆が意識を少しずつ変えていき、心身とも無理することも少なからずあっただろうが最悪の事態は免れた。
 
私見としては「ショッキング」なシュミレーション結果が出ても、このように知識のある人を中心として最悪の事態を想定して、この感染症の広がりを減らしていければと思うのだが、それは国民全員の意識に広がるにはまだまだ難しいのだろうか。
 
変に隠されていても、やがて結果としては笠原医師の言っていた通り第2波は患者の増加が早いのは事実としてわかってきている。
もっと積極的にわかりやすく、そして怖くてもきちんと事実を見て、誰もが素直に対応できるようになるまで、この新型コロナウイルスは収束はないのではないだろうか。
 
ファンタジーと言われるかもしれないが今回の感染症は
「自分の事だけではない、皆が人の役に立とう」という気持ちをもう一度思い出させるために出て来た「壁」なのかもしれない。
<見逃し動画>7月22日放送 
「はだしの船長、新たな海へ〜釣り船船長・田代誠一郎〜」
 
TVerでは配信されていません
 
7月22日放送の公式あらすじ

田代誠一郎の釣り船は、2年先まで予約がいっぱい。人気の秘密は、素人でも大物を釣らせてしまうという“ワザ”。狙うのは“ブリ御三家”の1つヒラマサだ。年間1500本以上という実績は、田代の“観察の目”による。潮流や風向き、場所や時間帯、そして客の腕や準備の様子まで見つめる。それらの情報から“運”ではなく、狙ってヒラマサを釣り上げる。舞台は世界有数の漁場として知られる玄界灘。田代のアツイ釣り旅に密着!
 
<出典>NHK公式

7月22日放送のネタバレはここをクリック
人呼んで「裸足の船長」。
素人にでも大物を釣らせてくれる田代誠一郎。
 
2年先の予約までいっぱいという人気釣り船の船長だ。
陸に戻ればファンがサインを求めてやって来る。
仕事場は「玄界灘」、世界有数の漁場。彼が操るのはいわゆる「高速艇」だ。
 
獲物はヒラマサ、高級魚として扱われる魚。
泳ぐスピードも速く、釣り糸を岩で引きちぎるくらいのパワーのある魚だ。
「海のダンプカー」の異名を持つ。
攻略の難しさと全力で釣り上げる醍醐味。釣り人がその虜となるのだ。
 
独自の「ワザ」を用いて釣り人を夢中にさせるプロフェッショナル船長・田代誠一郎に密着した。
 
 
大物を引き寄せるスゴ技
一般的に漁師は効率よくヒラマサを釣るために定置網を用意し「餌釣り」という方法を用いる。
しかし田代は「ルアー」と呼ばれるニセモノの魚を海面に泳がせ、ヒラマサをおびき寄せる、「ルアー釣り」の第一人者としてその名をとどろかせる。
 
密着中にも、5キロが標準と言われるヒラマサなのだが14キロや29キロもの大物を釣り上げる客がいた。ルアー釣りだと大物が食らいつく確率があがる。
しかし田代は無用な殺生をせず、食べられない量の魚は海にリリースする約束が、客との間でできているのだ。
なるべく長く釣りをできるようにという彼なりの気配りだ。
 
海流に流される事も考慮して船を釣り場へと誘導していく。魚群探知機では船の真下しか探れない。
 
なぜ田代はヒラマサの場所がわかるのか。
彼は「目で釣る」という。
 
 
目で釣る
彼が見定めるのは海底の地形に潮流がぶつかる場所。
プランクトンが滞留するので魚が集まる。その小魚を狙ったヒラマサが寄ってくる。
一瞬の飛沫も見逃さない。潮流の交わりも見定める。
「持ってる・運がいい」とは違う「常に狙っている」と田代は言う。
 
 
宿選びも天候次第
夕方。田代は各地から集まった7人の釣りガール達を宿に案内した。
天候次第で宿を選ぶため、馴染みの宿へ。飛び込みでも快く受け入れてくれる。
田代は調理場で釣った魚を手際よく自らさばく。
「ヒラマサのしゃぶしゃぶ」に仕立ててふるまった。
 
次の日もまた海へ。ツアー2日目だ。
女性ながら13キロの大物を釣り上げる人も。しかし1本も釣り上げていないメンバーもいた。その人を一番食いつきのいい船の先端にたたせ、声をかける。
ルアーを投げる気力がなえないように。
「投げていれば、必ず釣れる」と信じ、心が折れないように声をかけ続けるのだ。
 
釣りは人生そのもの。諦めたらそれでおしまい。
やり続ければチャンスはつかめる。
 
待っていたヒラマサがようやく釣れた。「2日と5時間」かけて手に入れた1本だ。
釣りガールたちは皆涙する。全員が喜びの笑顔にあふれた。田代も嬉しそうだ。
 
 
運命を変えたアニキの言葉
2020年元旦。たったひとりの客、小野山朋実さん一人を乗せ船を出す。
釣具店のカリスマオーナー。田代は小野山さんをアニキと呼ぶ。
 
田代さんは小野山さんの言葉に救われた事がある。
「答えはすべて海の中」
 
少年の頃から釣りに魅了された田代。
水産系の専門学校を卒業すると奄美大島に渡った。奄美で船釣りを行うレジャー会社に就職した。
わずか3年で船長になり、大物を釣り客に釣らせて見せた。
自らたてたプランで客を喜ばせる達成感に、この仕事を「天職」と思った。
 
27歳で念願の船を手に入れ独立。仕事はすぐに軌道にのった。口コミで客が増えた。
その中に常連の客となった「アニキ」がいた。
玄界灘をアニキと攻略していった。
 
しかし異変が起きた。釣れるはずの穴場で全く釣れなくなってしまった。
肩を落として帰る客、無言になる船内。
何故釣れないのか考え込んだ。今考えてもあの時は病んでいたと思った。
申し訳ない気持ちを抱え、打つ手を思いつかず、アニキに愚痴った。
 
「答えはすべた、海の中」アニキはひとことそう言った。
 
田代は自分がいろんなもののせいにしていた事、海のことをわかっていない自分に気が付いた。
そして玄界灘を見つめなおした。
天候・潮の流れを研究し未踏の海域へも足をのばした。
やがて海の計り知れない可能性に思い至った。
 
わからないほうが面白い。答えを探して皆と海に出る。答え探しは終わらない。
 
 
不漁!?格闘12時間
2月。気になる客のガイドを引き受けていた田代。還暦で夫婦で釣りに来るお客。
メールでやり取りをしている。前日に電話でウキウキと連絡をくれる奥様。
 
電話連絡をする傍らでそのやり取りをしているのを聞いていた釣り客も、田代同様にご夫婦の心配を口にする。
ヒラマサの釣りは手ごわくルアーを投げ続けるテンションを保つのが難しい。
 
もうひとつ心配なことが。玄界灘をのぞむ漁師町にも原因不明の不漁が続き活気がなくなっていた。ヒラマサの餌となるイカの不漁でヒラマサも減っているのだ。
 
ヒラマサ釣りを楽しみにやってくる60代の夫婦にいかに釣らせるか。
 
当日の朝、神棚に手を合わせ出発する田代。
熊本から日帰りでやってきた木下さん夫婦。リミットは12時間の日没。
 
体力があるうちにまずは1本釣らせたい。ご主人のほうは30年の釣り歴がある。
が奥様は一緒に誘われてはじめた。
釣りを長く2人で続けたい「趣味」と考えている。
 
釣りの開始間もなく、一瞬当たりがあったように見えた。しかし逃した。
アドバイスをする田代。
気配があるのだがなかなか釣れない。ポイントを移動し津島周辺まで。
しかしなかなか当たらない。午前中は釣果無し。夫婦にも疲れが見えてくる。
 
穴場を細かく巡りヒラマサをあぶりだす。
手数で挑んでいく。
 
奥さんにブリがかかった。日没まで2時間。田代は念ずる。
「投げていれば必ず釣れる。」
投げ続けてもらうために応援を続ける。
 
日没が迫り最後のポイントに移動。
結局ご主人のほうは1本も釣れなかった。それでも心は折れてない。
次回のリベンジを誓う。
 
 
プロフェッショナルとは
たかが釣り、されどそれを突き詰めたい。
誰よりも海の事を突き止めたい。海の事を一瞬たりとも見逃したくない。
その積み重ねの気持ちでガイドをして、海の本質に近づきたい。
田代はそう語った。
7月22日放送の感想はここをクリック
自然を相手に、自分だけではなく客を楽しませながら「釣らせる」ように工夫する。
 
とてもにこやかに、楽しそうに釣り船を動かしているけれど心労はいかばかりかと思う。
 
ましてや今の気象条件や海の状況、他国からの干渉など多く障害もある。
 
それでもこの仕事を続けるのはやはり「お客さんに自分も感じた釣りの楽しさ」を味わってもらいたいからなのだろう。笑顔が見たいから。
 
この番組で紹介されるプロフェショナルはいつも「他の人」の喜び中心に生きて活動を続けている。私は海釣りをしたことがないけれど(海がこわいので)自然にたいして謙虚でいることは大切な事だと思う。
 
このプロフェッショナルと一緒に釣りをすると、その謙虚さも学べそうだなと考えた。
<見逃し動画>7月15日放送 
「ぶれず、おごらず、侮らず〜洋食店主・島田良彦〜」
 
TVerでは配信されていません
 
7月15日放送の公式あらすじ

大人気のトンカツはいかに作られるのか?東京・上野で115年続く老舗洋食店の4代目・島田良彦に密着。タンシチュー、エビフライ、ポークソテー…。池波正太郎や白洲次郎など多くの文化人が愛した味には秘密があった。豚肉は産地やブランドを固定せず、その日の最もいいものを厳選。タンシチューのデミグラスソースは木べらで小麦粉とバターを混ぜ、20日がかりで。手間暇惜しまぬ姿勢の原点には、亡き父との約束があった。
 
<出典>NHK公式

7月15日放送のネタバレはここをクリック
東京・上野で115年続く老舗洋食店「ぽん多」。
池波正太郎や白洲次郎など多くの文化人が愛した名店。
カツレツだけでなく、タンシチュー、エビフライ、ポークソテー。客は50年、60年、子供の頃から通い続ける人も多い。
「いつも通り、それが最高」と言う。
しかし変わらないものはない。4代目店主となった島田良彦(55歳)。
初代新次郎さんは明治38年「洋食に親しんでもらいたい」とこの店を開いたのだ。
新型コロナの広がりでかつてない厳しい状況に立たされながらも、ずっと愛される味を引きつぐ「プロフェッショナル」に密着した。
 
 
魅惑のカツレツへのこだわり
島田が店を継いで20年になる。
母の幸子さん、そして弟の克彦さんと共に店を営んでいる。克彦さんが豊洲から魚を仕入れ、肉は卸業者から仕入れ、豚ロースを店主が目利きする習わしだ。
午前11時に開店、24の席はあっという間に埋まる。一番人気はカツレツ。
先代から受け継いだ鉄製の「肉叩き(にくはたき)」を使って繊維をほぐす。1日1000回「叩き(はたき)」は行われる。油で120度でじんわり揚げていく。
 
カツレツに並ぶ人気のタンシチューへのこだわりもすごい。小麦粉とバターを鍋に入れ、火を入れて20日間かけてデミグラスソースを作るのだ。
丁寧に丁寧に仕事をやっていくこだわりがここにも表れている。
 
一品3000円から5000円と安くはないが材料費や手間を考えると決して安くはないのだ。
 
初代の「多くの人に洋食に親しんでもらいたい」との気持ちを引き継いでいる。
 
 
伝統と変革
しかし島田は伝統へしがみつく気持ちは毛頭ない。
カツレツの衣の厚みも自分で納得して15%減らした。
デミグラスソースにも自己流のこだわりを凝らし、日本人好みのごはんに合う味付けに。
彼は「余裕は、いらない」という。
店の歴史がどうだ、とか考える前に、自分の目の前の事をしっかりやる。
もっと美味しくしたい、もっと上に行きたい、そうしないと衰退していくと考える。
 
 
島田自身のこだわり「ちょうどいい」
カツレツをあげる油は豚ロースから切り落とした脂身を火にかけジワジワと出てくる油を1時間かけてじっくり取り出すのだ。香ばしい揚げ油の味にこだわっている。
角のない柔らかな油の味。衣が甘く感じるのはこの衣があってこそ。
「ちょうどいい」を狙っていくのだそうだ。「ちょうどいい」は簡単にはできないと島田は言う。
島田が座って休む姿をスタッフは見なかった。掃除からシャッターを下ろすまで座ることがない。
「ちょうどいい」の全てを求め日々、自分の全てを出し切っている。
 
しかし、彼の右手首は重度の腱鞘炎。5年程抱えている痛みだ。
それでも「肉叩き」を他の人に託すことはない。
身体のメンテナンスをかかさない、目の前の仕事にぬかりなく向き合うことが「伝統の灯」を絶やさず続けていくことだと信じている。
 
 
夢中の先に道が開ける
彼は今「白魚(しらうお)」のフライを試作していた。余裕があるわけではない。
夢中になっていけるものがあることは幸せ、それが最終的には味につながる。
 
 
父との約束
島田は父の仕事姿に憧れ、小学生の卒業アルバムには「家を継ぐ」と書いた。
21歳のとき実家の店で働き始めた。父は「見て覚えなさい」と言った。
4年後父は営業中に「あとはやっておけ」と言って突如いなくなる。島田は背中から汗が止まらないほど緊張した。伝統の重みを始めて知った。
島田が揚げたカツレツを食べた客は美味しそうな表情をしていた。父はこうして店の伝統の重さを教えた。
この日から父は料理を教えてくれ始めた。「俺がいなくなったら次お前なんだから」というのが口癖になっていった。
 
32歳の時、父が末期の膵臓がん、余命半年と告げられた。
父の味を目当てにやってくる客、島田は自分の味に自信が無かった。
病床の父が「おれがいなくなっても、やっていけるか」と小さな声で問いかけてきた。
島田は「任せてください、最後までやり切ります」と答えた、それが最期の会話となった。
1週間後、父はこの世を去った。
 
父の後を引き継いで教えられた通り料理を作っていったが、長年来店していた常連客が少しずつ来なくなってしまった。
これまで通り仕込みも手順も変えていないのに「あの店の味は落ちた」という噂が耳に入った。
どんどんと自信をなくす島田を応援してくれる常連さんもいた、
根岸正子(ねぎししょうこ)さん。
父の死後は毎週のように家族を連れて店に来ては「あなたの料理は本当においしい」と声をかけてくれたのだ。
 
島田は「父になることはできないが、やれる限りやってみよう」と思い、目の前の仕事に集中し雑音を遠ざけた。
自分が良いと思った方向へとレシピにも手を加えていったのだ。
自分で決めて突き進む、でないと結果がブレてしまう。一生懸命やるしかない。
 
20年たった今では遠方からも客が島田の味を求めて店にやってくる。
目の前の事をコツコツとやること、それが父との約束を守ることなのだ。
 
 
異変
2020年3月、島田の店にも新型コロナの影響が表れて来た。
長引く不況、後継者難、そしてコロナ。東京の景色もどう変わっていくかわからない。
この危機を乗り越えるには業務の効率化など見直さねばならない点もあるのだが、それだけでは足りないのが老舗の味を守るということだ。
 
 
貫き、抗え
その中、島田の応援をし続けてくれた根岸正子さんが亡くなった。49日の法要は島田の店で行って欲しいという彼女の願い。
コロナ渦で息子さんはこの会を開くかどうかを店に相談に来た。
その息子さんは正子さんが自分の息子の心配をするかのようだったと思い出を語ってくれた。
「よっちゃん(島田)が立派になった、よっちゃんの料理を食べに行こう」と家でも何度も言ってくれていたようだった。
 
4日後午後からは根岸さんのためだけの開店をした。
なぜ根岸さんが島田の料理を愛してくれたのか、いまだに島田はわからない。
しかし確かな事は目の前の料理に没頭し、最善を尽くすことが根岸さんへの恩返しだと思った。
効率化が言われる時代、それをあえて手間をかける、これが通用するかを挑戦する。
法要の〆は20日かけて作ったタンシチュー。これからも見守っていただきたいと言葉を述べ目頭を押さえた島田。
 
 
プロフェッショナル
ブレず、愚直におのれを貫く。
質の高い仕事を信念をもって貫く、それがプロフェッショナル、島田はそう語った。
7月15日放送の感想はここをクリック
凛とした空気が漂う、こじんまりとしているが清潔な店内。
 
「よろしくお願いします」とスタッフに言う島田さんは照れなのか、目線をどこに置いたらいいのかわからないと言う。和食やお寿司屋さんの店のような雰囲気すらある店主だ。
 
今の時代は美味しいものが沢山あり、すぐに手に入るだけに、客の舌が肥えてしまっている。時代に合わせた味というもの、流行りの調理法もあるのだろうけれど彼はそれを見てしまうと「ブレ」てしまうと考えたのかもしれない。
 
自分が美味しいと思うものを信じ、店を続けていくこと、それを最も大事なこととした。
 
人間の「味の記憶」というのは結構いい加減で空腹な時、食べたいものが出てきたらそれは世界一美味しいだろう。記憶はさらにそれを美化させる。
普通の人間の記憶や味覚など、機械ではないから「アテ」になるはずもないのに案外客となると偉そうになってしまう。でも彼は「客はどうせわかってない」とはならないのだ。
 
次回同じものを食べても感動が同じとは限らないのに「いつも変わらない」と思わせてしまうのは「手を抜いていない」と客にきちんと認識させるだけの覚悟のあるやり方だからだろうと私は思う。その強さこそがプロフェッショナルなのだろう。
<見逃し動画>7月8日放送 「コンプレックスを、カワイイに ヘアメークアップアーティスト・イガリシノブ」
 
TVerでは配信されていません
 
7月8日放送の公式あらすじ

女優やモデル、一般女性からも絶大な支持を集めるヘアメークのカリスマ・イガリシノブ(41)。「おフェロメーク」で一大ブームを呼ぶなど、常識にとらわれない発想で“時代の顔”を作り出す。今イガリが力を入れているのが、コンプレックスを抱える人たちの悩みをメークで解消する試み。実はイガリも肌が弱くてメークできない劣等感に苦しんできた。5歳の娘を育てるシングルマザーでもあるイガリの、明るく前向きに生きる流儀。
 
<出典>NHK公式

7月8日放送のネタバレはここをクリック
モデルたちから絶大な信頼を集めSNSでもメイクについて詳しく発信。
「女子を絶対にかわいくする」をテーマとしているメイクアップアーティスト、イガリシノブ。
彼女は「肌が弱くてメイクできない」というコンプレックスがあった。
それゆえに「ヘアメイクアップアーティスト」の道を選ぶことになった。
シングルマザーで5歳の娘を育てながら生きている彼女が、これからやりたいこととは何なのか、目指しているものを追いかけてみた。
 
 
ヘアメイクのカリスマ
時代の顔を作り出すヘアメイクという仕事。
イガリシノブは「時代」に乗るのではなく自ら作り出していこうとしているのだとモデルも絶賛している。
イガリは実際、新しい試みとしてインスタライブで、女性が抱えているコンプレックスをあえて隠さずメイクを使って魅力へと持って行こうと考えている。
コンプレックスを隠すことが「自分」を隠してしまうことだと思っているからだ。
 
 
わたし風
常識にとらわれない自由な発想、それが彼女の持ち味。
最初の密着先は大手化粧品メーカーのウェブ広告の撮影現場。
今回新たに発売される化粧品を使ってモデルにメイクを施す仕事だ。
 
イガリはモデルにメイクをしながら顔全体がどう見えるかを計算している
彼女の代名詞と言える「おフェロメイク」。「おしゃれ プラス フェロモン」の略語で、普通は頬の位置に入れるチークを目の下に入れることにより火照って上気したような表情になる。これがおフェロメイクだ。
 
彼女が大事にしているのは「普通をうちやぶる」。
彼女の目的は「読者に受ける最新のメイクを提案すること」なのだが、まずはモデルと向き合うことから始める。
メイク前のマッサージをしながらモデルの骨格を把握し、会話をしながらモデルの人となりを探っていく。
彼女は考えながら目を細めるクセがある。目を細めた時にはイガリはモデルの内面から出てくる空気を感じっているのだ。
モデルの本来の姿が見えるように、特徴や内面が全部出るようにメイクをしたいと思っている。
美しくするよりもチャーミングにしたいと言う。
世の中の「常識の美しさ」にはめこむことを嫌う。
 
家ではお弁当を作り5歳の娘さん専属のヘアメイクだ。
娘のお弁当を作り、自分のメイクをする時間は保育園に自転車で送る前になんと3分。
 
 
コンプレックスで悩む人へ
ここ数年イガリが力を入れていることがある。
一般の人たちに向けて化粧品の使い方や効果的なメイクの仕方を指導している。
全国各地で開くイベントをはじめ、自分のSNSで簡単にできるプロのメイクの技を惜しげもなく伝えていく。
毎週行うインスタライブで一般の人を募集した。応募者の中から3人を選んで実際にイガリがメイクを施すのだ。
応募条件は「マンツーマンでイガリがメイクをし、コンプレックスを話しながら解消していく」というものだ。
 
コンプレックスを隠していると自分も隠れてしまう。
メイクを義務ではなく、隠す方法ではなく、
メイクをすることでマインドをあげて元気になってもらいたい。
イガリの目的は「女性を可愛く、元気にする」ことだから。
 
 
すっぴんに自信がもてるように
メイクで欠点を隠すと、そのメイクを取った時に欠点が出て来てしまう。
そして皆、自分の欠点に目が行くことで気持ちが陰に入っていってしまう。
 
でもコンプレックスを生かすようにメイクで助ければ、きっと自分の事も好きになっていくし色々なことにチャレンジをしてみたくなっていく。
こうしてマインドが上がっていくとイガリは語る。
 
 
カリスマのルーツ
忙しい時には栃木の実家に娘を預ける事もある。
彼女は横浜で育ち12歳の時に栃木に引っ越して来た。
 
そして中学3年間剣道にうちこんだ。
厳しい練習に耐え団体で全国大会に出るまでになった。
負けず嫌いはここで培われたようだ。
剣道で「気合い」を学び、ここまで歩んだ来たというイガリ。
 
高校生になると皆がメイクをする中、自分は化粧品で顔が赤くただれてしまい化粧が怖くなってしまった。
皆ができることが自分にはできないと、徐々に自信を失っていく中でも、お洒落に強い興味があったイガリはファッションの専門学校に行く。
そこでヘアメイクと出会った。
 
自分では肌が弱くてメイクはできないけれど他人に施し、作品として残せると気が付いた。
 
卒業後はロンドンに行きプロのメイクについてアルバイトや雑用をしながら学び、帰国後も先輩のアシスタントやイベントのメイクなどして腕を磨き続けた。
その中で彼女は薄めのメイクを追及することに気が付いた。
1から10までやらなくてもよい「1の精神」で行こうと思った。
 
やがてモデルやアーティストから徐々に声がかかるようになっていく。
普段の担当メイクに穴があいたりするとそこでイガリがかわりに入り、モデルにメイクを施す。するとそれが次の仕事につながっていく。
 
「1の精神」が受け入れられていく。
こうしていくうちに彼女が生み出す斬新なメイク方法「おフェロメイク」が生まれることになる。
 
劣等感に苦しんだ自分がいたからこそ今があるというイガリ。
 
 
100年先のカワイイを変えたい
今コンプレックスを持っている女性がそれをポジティブにとらえられないと、その女性に似た子供が生まれたら、またコンプレックスが続いていくことになる。
でもコンプレックスをポジティブに捉えるメイクを自分が施すことができれば「ポジティブスイッチ」を押してあげることはできるのではないか。
そうすれば100年、200年後に「カワイイ」の定義が変わっていくかもしれない。
 
 
コンプレックスを変えたい
取材班はSNSで募集した中で選ばれた人のメイクに同行した。
彼女は一重であることや唇、眉毛が上手く描けないなどのコンプレックスを持っていた。
内向的になりがちで外にでることが怖くなってきているとまで言う。
 
イガリが彼女のメイクを始めるとどんどん表情が変わっていく。
彼女が自分で再現しやすいようにわかりやすく教えながら、褒めながら、ちょっとしたコツを教え続ける。メイクで自分の顔を好きになることが叶えられることを教えていく。
他の2人もメイクが終るころにはすっかり笑顔になっていた。
 
 
プロフェッショナルとは
イガリの言うプロフェッショナルとは
 
今ある時代の常識をそのまま受け入れずに、敢えて別の方向に目線を向けて。
ヘアメイクとしては、100年先のカワイイの方向を変えて行ける人。
 
だと笑顔で語った。
7月8日放送の感想はここをクリック
ヘアメイクというと最先端の化粧品を使って、過去にはなかった奇抜なメイクをしていくイメージがあるが、このイガリシノブと言う人はあえて引き算をしていく。
1から10までの技術は知識として知っているが、それは自分の中ではやりすぎだ、しつこいと判断して自分で考えアウトプットしていくようだ。
それがこのひとにしかできない「センス」なのだけれど。
 
外側を作り上げるということもメイクの目的ではあるのだけれど、彼女のメイクは自分の中にある嫌いな部分も好きな部分も大事にして、どんどん前に気持ちを向けて「新しい世界に挑戦」しようという「負けん気」を作りあげていこうとしているのではないだろうか。
 
下を向けば見えなくなってしまうから、無理しないで女性が前を向けるように、自分が少しの手伝いをしたい。
 
やはりここでも「人が喜ぶ顔がみたい」と言葉にはしなかったが彼女の表情は物語っていた。
<見逃し動画>6月30日放送 「たかがお好み焼き、されどお好み焼き」
 
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6月30日放送の公式あらすじ

広島が誇るソウルフード・お好み焼き。「当代屈指」と評される職人・市居馨(66)に密着。専門店として初めて有名グルメガイドに掲載されるなどそのお好み焼きは「B級グルメを超えた」と評される。秘密はキャベツの甘みを極限まで引き出す技術。ハイスピードカメラなどを駆使し蒸気を巧みに操る職人技を解明する。だが市居の人生は平坦(たん)ではなかった。飲食業界が苦境にある今だからこそ響く自称「お好みバカ」の生きざま
 
<出典>NHK公式

6月30日放送のネタバレはここをクリック
お好み焼き激戦区といわれる広島で「当代屈指」と言われるお好み焼き職人・市居薫(いちいかおる)。
お好み焼き専門店としてははじめて「ビブグルマン」に掲載された。
 
市居本人は「ただのお好み馬鹿」だと自分を言うがキャベツの甘さを限界まで引き出す技術、ソースの味も常に追求し続けている。
 
「客の喜ぶ顔を見たい」とまだまだ前進を続ける市居の仕事をハイスピードカメラやサーモグラフィを用いて撮影し彼の技術に迫るとともに、決して平たんではなかった市居の人生に迫る。
 
 
「ほんとうにおいしい」
広島駅にある駅ビルの店に一番に現れてキャベツを刻み始める市居。
全国からその時期に最も美味しいものを仕入れる。しかしキャベツの品質はそれぞれなので彼は葉のかたさや水分量により、切り方すらも変える。
 
開店前には客から見えるところも見えない所も自らの手を使って掃除する。
 
「めんどくさい、しんどいと思うとそこで終わってしまう。それは仕事の粗さなどとして出て来てしまい差が出てくることになるんとちがうかな」
と市居は穏やかに話す。
 
市居の焼いたお好み焼きを食べた客は
「キャベツが甘い」
と口を揃えて言う。
 
甘みを極限まで引き出したキャベツ。その甘みを引き出す方法は彼が20年以上かけて編み出したものだ。
まず鉄板はオーダーメイド。どの部分がどのくらいの温度になるかを市居は熟知している。
最も熱い場所にキャベツの上に薄い生地を乗せた玉を置いてキャベツ自身の蒸気で蒸し、焦げるギリギリまで薄い生地の下に蒸気を溜め、音を聞いてタイミングを伺いヘラでお好み焼きを回す。
これが市居の技である。キャベツのみずみずしさを保ったままに甘みを極限まで引き出す。
普通は温度の低い場所へ移動させるのだが焦げるギリギリまで待つのが市居流。
 
 
一瞬への執着が究極を生む
「タイミングは究極」
それを市居は20枚同時に焼き続けるのだ。
一枚一枚の音や様子に神経をとがらせ、さらには店の内部の空気の動きによる鉄板の温度の変化を自分で理解し、お好み焼きやヘラを動かしていく。
 
市居のこだわりは自分で焼いたお好み焼きを自分で食べること。
大抵毎日昼はお好み焼きだ。食事の時間が市居の研究の時間だ。
未だに試行錯誤を続けている。
キャベツの千切りも毎日微妙に変えている。
キャベツの甘さを引き立たせるソースの配合も考える。
 
「探求心を持って行かないと、ここでOKとなってしまうとそこからは後退するばっかりになるような気がする。
生きている限りはそういう部分がないとダメだ。」
と彼は言う。
 
 
お好み焼きと生きる
夕方5時に市居は郊外にある、別の店に向かう。そこは18年前市居がはじめて構えた原点ともいえる店。
 
利益を考えると駅ビル店に集中したほうがいいのだが、常連がやってくるこの店を閉める予定は全くない。
 
そこでは客の年齢に合わせたり、小さなころから来ている子供の成長を見たり、とここの店で「お好み焼き職人として生きる意味」を改めて考え感じるのだ。
 
広島のお好み焼きは、75年前の原爆投下後の焼け野原で考え出された。
家族が皆で来られたり、子供の成長を担う、人を繋ぐのに重要な食べ物がお好み焼きだと考えている。
 
 
市居とお好み焼き
1954年島根県出雲市に生まれた市居は5人兄弟の末っ子で何不自由なく育った。
特にやりたいこと、好きな事があったわけではなく「大きな夢も持っていない何をしたらわからない」と言う葛藤をかかえていた。
高校卒業後、兄が経営する電気修理の会社に勤めたが打ち込み切れなかった。
 
しかし広島県出身の妻・さとみさんと29歳の時に結婚した時から彼の人生に変化が現れた。
 
義理の父・井畝満夫(いせみつお)さんは「みっちゃん」という名で親しまれていた伝説のお好み焼き職人だった。
その義理の父に誘われて32歳の時にこの道に入った。
井畝さんの焼いたお好み焼きを食べたお客のお礼の言い方が「本当に美味しいものをありがとうございます」と言っているように聞こえた。
生まれはじめてやりたいことを見つけた市居だった。
 
しかし生地ひとつまともに焼けず、自分よりも若い20代の職人に囲まれ焦りだけが募る。
何が違うのかがわからない。
5年、10年と師匠や兄弟子の技を盗もうと鉄板の前に立ち続けるも人を感動させるお好み焼きを焼けない。
 
そんなある日、井畝さんから声をかけられ、鉄板業者の修理作業を見ることに。
 
そこで気が付いた。
井畝さんの鉄板はオーダーメイド。バーナーの位置から厚さまで緻密に考えられていた。井畝さんはなおも、改良をし続けていたのだ。
 
それを見て「お好み焼きへの向き合い方」が違うということに気が付く。
そして師匠や兄弟子の真似ではなく自分でキャベツの切り方の調整の追求に挑戦した。
そしてキャベツの甘みを極限まで引き出す工夫を重ねた。
 
48歳のとき700万円の借金をして自分の店を構えた。
客は1人も来ない日もあったが、とことんお好み焼きで勝負をしてみたかった。
2年後には店は常連客でいっぱいになるようになっていた。
 
「本当においしかった」と言ってくれる客の言葉に嬉しくなって、ますますのめり込んだ。
お好み焼きを焼くことではじめて「馬鹿になれた」という市居。
彼が自分で焼いたお好み焼きを毎日食べるのは「もっと馬鹿になるため」なのだ。
 
 
職人を育てる
市居は職人が生活する寮をたてる計画を持っている。
少しでも職人が覚えることに集中できるようにするためだ。
 
市居には気になっている職人がいた。
田村和彦48歳。脱サラし市居の元で修行して8か月。
田村は2か月後、自分の店を出す。かつての弟子の中で一番短い修業期間だ。
田村には独立を急ぐ理由があった。
おばあちゃん子だった田村は脳梗塞で倒れ今は老人ホームで暮らす祖母が少しずつ弱ってきており、子供の頃に祖母に焼いてもらったお好み焼きを忘れることのない彼は、祖母に市居の焼いたお好み焼きのような自分の作品を食べさせたいのだ。
 
卒業まで間もない中、厳しい言葉をかける。
覚悟の問題だと市居は言う。
田村に常に探求を続ける姿勢を持ち続けて欲しいと考えている。技は1年程度では身につかないこともわかっているが、心の問題だというのだ。
客に一生懸命さを見てもらって後押しをしてもらうしかない。
 
少しずつだが理想のお好み焼きに近づけてきた田村が自分が焼いたお好み焼きを食べる横顔は市居に似て来たと、取材班は思った。
 
 
市居の思うプロフェッショナルとは
我が道を行くのに楽しみながらできる人。
苦しくても壁があっても笑顔で続けていくことが出来る人。
6月30日放送の感想はここをクリック
市居さんは声を荒げることはない。それでも自分にも厳しく弟子にも厳しい。
孫には甘そうだったけれど・・。その時は優しいおじいちゃんの顔だった。
 
常に前に進み続けないと人間自体そこで終わってしまうと言われると耳がいたい。
ついつい、自分に甘くなりがちな自分を省みてしまう。
プロフェッショナルは遠い。
このプロフェッショナル「市居馨」も他のプロフェッショナル同様「人に喜んでもらいたい、喜ぶ顔が見たい」と言っていて、自分のためやお金儲けという部分は見えない。
 
他人が喜ぶ、楽しむことが自分を生かし続けていると思っている。こういう気持ちの人がどんどん道を究め成功していく。この「熱」を感じて感動する人間でありたいし感謝していける自分でもあり続けたいなと思わされた。
 
とにかく、美味しそうなお好み焼きだった。しっかり名前と場所を覚えた。いつか食べてみたい甘い甘いキャベツのお好み焼きを。
<見逃し動画>6月23日放送 「富士山スペシャル」
 
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6月23日放送の公式あらすじ

2018年3月に放送し、大反響を呼んだ「新しい仕事スペシャル」をリメイク。「なりたい職業ランキング」で上位に入るようになったユーチューバーのカリスマ「HIKAKIN」に密着。世界大会の優勝賞金がときに“億”を超えるプロゲーマーの先駆者「梅原大吾」にも密着。時代が生んだ新たな職業のプロフェッショナルたち、その知られざる戦いの日々から見えてきたものとは?!
 
<出典>NHK公式

6月23日放送のネタバレはここをクリック
ユーチューバーのカリスマ「HIKAKIN(ヒカキン)」プロゲーマーの先駆者「梅原大吾」の2人に密着した2018年3月に放送された「新しい仕事スペシャル」のリメイク版。
 
今や子供がなりたい将来の職業の上位に入り続けているユーチューバー。
その中でもダントツの人気と登録者数を維持し続ける「HIKAKIN」。
 
そして優勝賞金が「億」を超えるような世界大会へ日本からいち早くプロゲーマーとして参入した「梅原大吾」。
 
我々には見えていない場所で戦い続けている彼らの日々に密着した。
 
 
夢のある職業
2005年に動画サイトyoutubeができた。
ユーチューバーという職業はネットに様々な動画を投稿し、それについた広告主からその再生回数に応じて収入を得る。
 
ヒカキンが動画投稿をする目的は「元気な自分を見てもらって元気になってもらう」ということ。
 
「人生は思い通りに行かないことが多いし、僕のチャンネルは悩み多き人が多く見てくれていると思うので、学ぶというより楽しんでもらいたい」という。
 
高校卒業後、食料品店に就職した若者が、数年後にはエアロスミス(米ロックバンド)と同じステージに立てるなんて「夢のある職業」だとも言っている。
 
6年前にヒカキンは「グッズで遊ぶ」「ヒューマンビーとボックス」「ブログ」「ゲーム実況」の4つのジャンルで動画を投稿しはじめた。
特に人気があるのが「グッズで遊ぶ」動画。
 
 
「そこらへんの兄ちゃん」
ヒカキンがこだわるスタンスは「そこらへんの、兄ちゃん」だ。
リアルを自由に、個人で動画にするために自分ひとりで企画、出演、撮影、編集をしている。
「分業にしないと体がもたない」と言われるのだが他人に任せて今まで100%の情熱だったものが70%に薄まってしまい、配信した時に本当のファンはそれに気が付いてしまう。
 
自分の思っている熱が相手には伝わり切れないと思うのだ。
 
今回取材の際に撮影していた動画は
 
【貴族の遊び】超高級純金トランプ家中にバラまいてみたwww
 
という動画なのだが「純金箔トランプ」を購入し自ら遊んでみたと言う内容。
 
商品の情報については絶対に間違えないよう慎重にネットでも再三調べるのだが商品の中身についてはあまり見ないようにしている。
これは「最初に見た時のリアクション」を大切にしたいから。その驚きを視聴者と共有したいと思っているためだ。
そして意外にも構想はあらかじめ練らずに思いつきの展開で動画を進めていく。
 
あまり作り込まない「身近さ」をとにかく大切にし、あくまで「そこらへんの兄ちゃん」が楽しく遊んでいると思ってもらえる動画を見てもらいたい。
 
さらに彼は過激な発言や表現をしないようにしている。
 
誰が見ても嫌な気持ちにならないように。
そうしないとどこかで見て少しでも嫌な気持ちになっている人がいたらそこから炎上につながると彼は考えるからだ。
 
「見る人を楽しませる」ヒカキンと「それを冷静にチェックする」ヒカキンの2人が存在している。
 
 
見えない仕事
彼の仕事場兼住居を取材班が尋ねた時、彼は起床したばかりだった。
玄関にはこれから動画に使うために買い集めたグッズが箱に入ったまま沢山積まれている。
 
一昨日は寝ないで仕事、今朝は7時まで動画編集、それから午後2時まで睡眠をとっていた。
 
今回の「純金箔トランプ」の動画も」2時間かけて撮影、編集の内容とは主に使う映像のピックアップ、効果音、テロップつけなのだがそれには6時間かかった。
それが夜12時に終わると翌日にアップ予定のゲーム実況の動画の撮影をし1時に終了した。
 
「純金箔トランプ」はその日の午後7時に公開する。
公開後「グッド評価」の数を見て再生回数を予想するが、今回は思ったよりものびないと予想していた。
しかし自分では伸びないと言っていたこの動画も1か月後には190万回再生されることとなった。
 
 
ゴールのないマラソンレース
ヒカキンは平成元年新潟に生まれ、小学生の時に「ヒューマンビートボックス」にはまり、高校生の時にはヒューマンビートボックスの動画を投稿するまでになっていた。
 
将来はビートボックスのミュージシャンになりたい、と思っていたが高校卒業後は食料品会社に就職する。
しかしヒューマンビーとボックスの動画の投稿は変わらず続けていた。
 
転機は2010年に訪れた。ヒューマンビートボックスでスーパーマリオのBGMを投稿した。
すると、なんと1日で20万回再生され世界的に話題となったのだ。
 
翌年彼は海外で開催された人気ユーチューバーの講義を聞いて心を決めた。
 
その女性ユーチューバーは
「すべて自分で好きな事をできる。それが仕事にできるのよ」と言った。
 
そしてヒカキンは22歳で食料品会社をやめユーチューバー一本で生活していくことになったのだ。
 
1日に1から2本の動画をあげるとなると休みはゼロだ。
その仕事は彼が思った以上に楽ではなかった。
 
 
それでもヒカキンはこう思う。
自分で考えるのだから失敗成功は自分次第。
先が見えない不安があって落ち着かいのだけれど。。。
それでもこの仕事は歩みを止めたら終わりなのだ。
 
まるで「ゴールのないマラソンレース」のようなものだとも彼は言う。
でも100万人の人が笑ってくれるのは、先が見えている安定した人生よりも自分にとってはいい人生じゃないのかと思う、とも語ってくれた。
 
 
プロゲーマーの先駆者
「プロゲーマー」とはコンピューター上のゲーム大戦を生業とするゲーマーの事である。
 
梅原大吾は世界最高峰の大会で2度の優勝を果たし「格闘ゲームの神」と呼ばれる。
彼は格闘ゲーム「ストリートファイター」で10年間世界トップクラスに君臨している。
30年前に開発され現在もなお人気のゲームである。
 
 
プロゲーマーの日常
週4日梅原が通う場所がある。それはプロゲーマーやトップレベルのアマチュアの集まる練習場だ。
そこで梅原は、上り調子である20歳の“ときど”という名前のプロゲーマーと対戦するも敗退。
 
3日後取材班が自宅を訪れると梅原は“ときど”への戦略を練っていた。
“ときど”の使う「豪鬼(ごうき)」というキャラは、ゲーム内最強キャラのひとつともいわれているが、梅原の使用しているキャラ「ガイル」は攻撃よりも守備に重きを置くキャラのため、豪鬼との戦いでは不利になることも少なくはない。
しかし梅原は製作者の意図しない部分で技術を試し、自分の頭で考え工夫し、新しい発見ができると思うとワクワクすると言う。
製作者や他のゲーマーの予想外の戦略を思いつくのが楽しいのだそうだ。
 
 
梅原の考えるプロゲーマーのゴール
梅原は自分のプリゲーマーとして目指すところ、ゴールは
見ている人たちを楽しませ、喜ばせ、場合によっては納得させていくことだと言う。
 
皆がチャレンジしないキャラの行動を試し、オリジナルのプレーを作り出すのだ。
 
しかしそれは60分の1秒という反応速度が必要でそれを何度も試すため彼は1分以上もまばたきをしない。
子供の頃は目がぱっちりしていたが1分以上ももばたきを耐え長時間ゲームをするために目の形が変わったと冗談を飛ばす。
 
その夜、梅原は“ときど”と練習場でふたたび対戦した。
今回は新戦略を用いて積極的に攻めた。
結果負けはしたが周囲で見ていた人の反応は(梅原の)ガイルが攻めている、前回とは内容が変わって面白かったと言う反応だった。
 
 
再び世界チャンピオン大会へ
12月アメリカのアナハイムで年間チャンピオンを決める大会が行われた。
梅原は順調に勝ち観客を沸かせトップ8まで進んだ。
しかし翌日22歳の日本人プロゲーマーに負けてしまった。
 
ところが彼が去ろうとした会場からは梅原の戦いを称える声が上がっていた。
 
梅原はこう述べた。
「盛り上がったのなら今年1年努力した甲斐がある」
 
 
新しい仕事のプロフェッショナルとは
梅原のプロフェッショナルとは
自分の仕事に感謝し、それを言葉にするだけではなく仕事や態度で示していくこと
 
ヒカキンのプロフェッショナルとは
継続した人。続けているとチャンスが来る。
6月23日放送の感想はここをクリック
奇しくも新しい仕事を作り出した梅原もヒカキンも同じことを思っている。
 
見ている、見てくれる人を喜ばせたい
 
それが彼らの最も大切にしていることなのだ。ずっと変わっていない。
 
現在の仕事としていることはお金や名誉が最終目標ではなく「楽しませること」なのだ。
 
それこそが2人にこの仕事続けるモチベーションを与え、人が見ていなくとも努力を続けて行ける理由なのだろう。
 
人に与えられた仕事をこなすことも当然大切なことなのだが、自分で新しいものを生み出しそれを長く継続させていくこと、自分で思うような見返りもない場合には特に心が折れてしまうもの。
 
折れそうになっても信じて、腐らず感謝して「続けていく」ことは過去にも、そしてこれからの未来にも人間にとっての「成功」と呼べることの一つであることは、ずっと変わらないのかもしれないと思う。
 
「継続は力なり」は嘘ではないのだな。
<見逃し動画>6月16日放送
「逆境を、強さに変える~陸上選手・山縣亮太~」
 
TVerでは配信されていません
 
6月16日放送の公式あらすじ

陸上短距離のエース・山縣亮太(28)。日本選手の100mオリンピック記録を2大会連続で更新。リオ大会では400mリレーで銀メダル。山縣の真骨頂は「逆境を乗り越える力」にある。未熟児で生まれながらも、ケガなどの逆境を乗り越えるたびに強くなってきた。東京大会に向けた勝負のシーズンも、病気や故障などの逆境に次ぐ逆境。そしてコロナ禍が―。誰もが逆境に立たされている今こそ届けたい、“ミスター逆境”の流儀。
 
<出典>NHK公式

6月16日放送のネタバレはここをクリック
日本男子・陸上競技短距離選手のエース山縣亮太。
彼は日本選手の100mオリンピック記録を2大会連続で更新、2016年のリオデジャネイロ大会では400mリレーで銀メダルを獲得している。
 
小学生の頃から全国大会100mで8位を獲得、以来陸上の大会では華々しい活躍をしてきたように見られる山縣だが実は何度も「逆境」を乗り越えてきている。
 
2020年夏に開催される予定であった東京オリンピックの中止が決まったのが2020年6月。
新型コロナウイルスの影響である。怪我を乗り越え、このオリンピックに向けて調整を行っていた山縣に最も新しく与えられた試練である。
 
しかしオリンピックが新型コロナの影響により延期になったことすらも彼は前向きにとらえ「悪い事ばかりではない、目の前のことに全力を尽くす」と言ってのける。
 
陸上選手としてかつてどのような逆境に立ち向かいそれを乗り越えて来たか、山縣亮太が「ミスター逆境」と呼ばれる所以にせまる。
 
 
逆境からの再起へ
NHK取材班が山縣への1年間の密着取材を開始しはじめた2019年6月。
まだ新型コロナウイルスが与える世界レベルの影響は全く見えていなかったころだが彼は衝撃の告白を取材班にした。
 
肺に穴があく「気胸」という診断を受け2019年の「日本選手権」を棄権せざるを得なくなってしまったのだ。
自覚症状も3日ほど前からあったのだが医師からつきつけられた事実。
だが彼は気胸という故障をしてもなお、ここからの再起に彼の「競技人生」がかかっていると言ってのける。再起への姿勢はまったくブレることが無いのだ。
 
 
山縣の「逆境」の歴史
山縣は実は生まれた時から「ミスター逆境」だったといっても過言ではないだろう。
彼の逆境に負けない生き方はどう培われたのか。
 
19992年6月予定より2か月早く生まれた彼は肺の機能が不全の未熟児だった。
父の浩一さんは生きていけるのかを心配していた。1か月間保育器に入っていた。
無事退院して成長するも小学生になっても身長も低く身体も弱かった。
 
しかし4年生のとき100メートル走に出場し陸上部の選手を破って優勝したのだ。
彼の才能を見出したのは広島ジュニアオリンピアクラブの日山君代コーチだった。
身長は低いが足の回転が速い。集中して入り込める「短距離」という競技は亮太少年を魅了した。
 
中学へと進んだ山縣はこの時既にもっと早く走るために自分流の工夫をはじめていた。
自分が映っているビデオを見て驚いた彼は何本かのビデオを客観的に見ることにより修正を重ね、専門書を読んでは理想のフォームを追及するようになっていく。
学びを深めるほどに彼の頭には早く走るためのイメージが次々に沸いてくるのだ。
こうして戦う相手は他人ではなく自分となっていった。
 
彼は未熟児として生まれて体格の小さももとより、2013年には肉離れから復帰、2017年には足首痛から復活など、本当に数えきれないほどの逆境を乗り越えそのたびに自己記録を更新し続けきたのだ。
 
 
走る哲学者・山縣亮太
2016年6月、気胸の診断を受けての棄権から1週間後、山縣は練習を再開した。
練習を休んだ1週間で筋肉が落ちたと笑って話をする。
 
彼にはコーチがおらず10年以上自分で全ての管理をしてきた。
自ら練習を撮影し何度も繰り返し自分の動きを自分で見つめ、改善点を探していくという独特の方法だ。
 
自分との対話を重ねていくその姿は「走る哲学者」と言われる。
自分の頭の中のイメージを作り上げているからこそ自分のちょっとした違和感にも気が付く、という山縣。
オリンピックに出場するような高レベルな戦いでは「100分の1秒」が勝負を分ける。
繊細な戦いであるゆえに走行フォームや体のバランスの乱れが全てを決めてしまう。
 
そんなコーチ無しの山縣流の真価が発揮された試合がある。
2018年6月の日本選手権だ。
準決勝のタイムがふるわなかった彼は、翌日の決勝直前に自分を撮影した過去の動画から問題点を見つけ出し決勝のまさに現場で大幅にタイムをあげて圧勝したのだ。
 
 
自分流にこだわる理由
山縣には自らも「頑固」だと語るポイントがある。
 
自分ではない誰かにコーチをしてもらい、そのコーチが作り上げた理論を自分の身体で実践した記録は本当に自分のものなのかどうかにだわっているのだ。
自分で考え自分の身体で作り上げたものこそが「自分の結果」だと言う。
 
 
気胸からの復帰
気胸から復帰して3か月後の企業への経過報告では状態は良い方向には上がっていなかった。
山縣は五輪直前の日本選手権で3位以内に入ることが目標である。
気胸からの遅れを取り戻そうと考え新たな練習を開始した。
100メートル競技の前半60mでの加速スピードをあげる事を目的とした練習だ。
 
ちょっとした体のバランスの崩れを調整する様子を見た取材陣の「細かいですね」という言葉にはこう答えた。
 
「確かに細かいですが・・・・。やった気になって、練習した気になっても結果がついてこないのはこの競技ではよくあることなんですよ。」
ここまでの細かい調整が結果を導き出すのだ。どこまでも徹底して気が付いた部分を直していく。
 
またかつてない新しい練習を取り入れることはともすれば身体のバランスを崩すという危険を伴うのだが、山縣はそれには一切の躊躇がない。
「何かを変える事に対し守りには入りたくない。変化への恐怖は全くない」
 
 
逆境こそが変革へのきっかけと気づく
2013年20歳で日本選手のオリンピック記録を見事に塗り替えるも、その後肉離れや腰痛に襲われ自己ベスト更新に全く届かなくなってしまった山縣。
その際には自分の身体と才能の限界かと考えもした。
 
しかし2016年23歳の秋に取り組んだ新しい練習が、今まで「誰にもダメ出しをされてこなかった」自分に気が付くきっかけとなった。
その際に自分の体幹の弱さを見つめなおすことになったのだが、いまこそ自分の変化の時だと彼は気が付いたのだ。
もう限界かと思われた自分の中にはまだ眠っているものがある、まだ余地があると考え直し細かい筋肉にも着目してさらに鍛えなおしていったのだ。
 
このころから彼は自分がケガをするたびに自分が強くなっていると考えるようになっていった。
 
そして2018年、4年前の記録を塗り替えオリンピック記録の更新に成功した。
 
彼の考え方はこうだ。
 
何かを成し遂げたら次の課題が出て来て、それが自分の身体に怪我として現れ、またそれをクリアして自分の改善点をまた見つけ出していく。
何度も何度もケガを重ねそれを痛感したというのだ。
 
 
さらなる逆境へ
2019年年末、山縣は右足首を故障した。靱帯断裂だった。
3週後足首は回復してきたものの足首をかばうためにバランスが崩れている体の状態の調整をもしなければならない。
 
復帰戦を目指し3月にはフロリダに飛び合宿をはじめるも施設内にはコロナウイルスの影響で入れず取材の制限もされ始めた。
 
取材の間があいたその間に山縣の足は癒えまた新しい挑戦をはじめていた。
久しぶりに会う取材班に最新のフォームを見てどこか変わったかと質問を投げかけた。
1年前のフォームと見比べて答える取材班に、客観的に見て変化が目に見えるかどうかを逆に質問してきていた。目に見えるほどの変化を求めていた山縣。
 
だがそんな山縣をよそに着々とコロナウイルスの影響はしのびよっていた。調整を重ねている彼に「復帰戦」が行われないと知らせが入る。
 
 
山縣の流儀
山縣に取材班はいま、どう思うかを問いかけた。
 
オリンピック直前の怪我で落ち込みどうしようもない、陸上なんて面白くないなどと思う事もあったが、心のどこかでこんな自分を変えたいと思う自分もあった。
そんなカッコよくない自分を取材してもらうのはとてもリアリティーがある。すべてがうまくいく人なんていない、皆どうにかして乗り越えてきているから。
 
頑張り続けられるのは「あきらめた自分」が嫌だから自分を変えられるのは自分だけだから。前を向かなければここで終わるかもしれない。
 
元々彼は密着取材前から「嘘がない」等身大の自分を取材してほしいと言っていた。
 
 
6月5日練習再開。
緊急事態宣言中はひたすら自分と向き合ってきた山縣。
ピンチにの時には最初にたちかえり自分が走っている目的を思い出せれば、他の事が気にならなくなる。1年後は自己ベストをまた出したい。前の自分よりもより深く100mについて深く追求する自分になっていたいと言う彼。
 
 
最後に山縣流プロフェッショナルとは
自分が向き合っている競技に対して愛情があるかどうか
愛情が無いと深く追求する気が起きない
 
最期に取材班からなぜ100メートルが好きかを聞かれると、
 
「嘘をつかないから、100mは僕をうらぎったことがない」と答えた。
6月16日放送の感想はここをクリック
山縣選手はとにもかくにも真面目でひたむきに100mと向き合い続けている。今は向き合うことが自分の次のステップにつながると涼しい顔で言っているように見えても、おそらくその考えに至るまでにどれだけ自分の心を見つめたことか。
 
自分と向き合うことにはキリがない、終わりがない。考えがまとまらないこともあるだろうに彼が哲学者と言われるほどに深く深く、辛かろうが壊れそうだろうがひとつのことを見つめてきた事が結果として出ているのは見ている側も単純に嬉しいと思えた。
 
これからもっと「自分との戦い」は厳しくなってしまうかもしれない、いつかは自分と向き合えなくなってしまう時がやってくるのかもしれない。
 
でも、この番組で知ってしまった山縣選手はついつい、自分の子供を見守るような感情を抱いてしまいそうだった。

プロフェッショナル 仕事の流儀の内容

公式サイト

仕事の流儀には、その人の生き方が現れる。
 
「プロフェッショナル 仕事の流儀」は、超一流のプロフェッショナルに密着し、その仕事を徹底的に掘り下げるドキュメンタリー番組です。2006年1月の放送開始以来、イチローさん(メジャーリーガー)、吉永小百合さん(映画俳優)、新津春子さん(清掃員)、高倉健さん(映画俳優)、石川佳純さん(卓球選手)、宇多田ヒカルさん(シンガーソングライター)、くまモンさん(地方公務員)、羽生善治さん(棋士)など、時代の最先端で格闘する姿を見つめてきました。
 
<出典>NHK公式

<各回の内容>

1月7日 答えは、子どもの中に 井本陽久
1月14日 人を癒やし、人に癒やされる 石川清
1月21日 一匹一匹、一歩一歩 多向健一
1月28日 魔性の花に、魅せられて 鷲澤幸治
2月4日 苦しいときも一緒に、だから… 高橋亜美
2月18日 越前ガニの冬 人生を懸ける男たち、熊谷正数、大森幹夫
2月25日 逆風下の“問題児” 三木谷浩史
3月3日 商売は縁と情熱で挑め 2020 本田大助
3月10日 全力で、いってみよう! 萩本欽一
3月17日 人生よ、足元から輝け 長谷川裕也
3月28日 本木雅弘SP 本木雅弘
3月31日 “夢の国”SP 知られざる、魔法の秘密
4月14日 自分のために、美しくなれ 神崎恵
4月21日 緊急企画!プロのおうちごはん
4月28日 緊急企画!危機と闘うプロたち
5月12日 緊急企画プロのおうちごはん第2弾
5月19日 緊急企画プロのおうちごはん第3弾
5月26日 緊急企画プロのおうちごはん第4弾
6月2日 餅ばあちゃんの物語 桑田ミサオ
6月9日 革命は、地方から起こす 岩佐十良
6月16日 逆境を、強さに変える 山縣亮太

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プロフェッショナル 仕事の流儀の感想

50代男性

競走馬のオグリキャップの回の時の事を取り上げます。この番組を全て見てきた訳ではないので間違っているかもしれませんが恐らく人物以外を扱ったのはこの1回きりだと思いますし、競馬観戦歴は33年程にもなる長く続く私の大好きな趣味でもありますので最も印象に残り最も忘れられない回となりました。地元の東海地区の笠松競馬からデビューした馬なので身近に感じていましたし笠松に在籍していた時から名前は知っていましたし、中央競馬に移籍すると決まった時は大いに期待もして競馬場まで見に行ったほど思い入れの強い馬でした。それだけにこの番組でその時の模様が流れた時は本当に懐かしく思いましたし、強烈な印象が残っている馬なので約30年もの月日が流れている事が信じられない程でまだつい数年前のような気さえしました。ラストランの有馬記念のシーンはこれまで数え切れないほど見てきたのですが何度見てもグッときます。驚いたのは当時の武豊騎手の年齢で僅か21才だった事です。その当時はもう既にそれまでG1レースを何度も制していたので有馬記念を勝った事自体それほど驚きませんでした。しかし今振り返ると本来なら21才の騎手が有馬記念を勝つ事自体相当至難の業ですし、ましてもの凄く不振だったオグリキャップを勝たせてしまったのですからさすが武豊騎手と恐れ入ります。どの映像を見てもとにかく懐かしいものばかりでした。笠松時代の馬主の小栗さん、数々の大レースを優勝してきたシーン、不振にあえいでいる姿、どれもこれも恐らくこれから忘れる事はない映像として頭に残ると思いますし、この番組も永久保存版として大切に取ってあります。

50代男性

一流の人の仕事の流儀を観ることで、その人の人生や生き方が見えてきます。それは自分の仕事や生き方の参考にもなるので、モチベーションを高められる番組だと思いました。民放で似たような内容の番組がありますが、それとは取材者の視点が少し違うような気がしました。どちらも密着取材をしているのでしょうが、なるべく普段の生活を観たいと言うのが視聴者の心理だと思います。一流になる人と、凡人はどこが違うのかがこの番組を観れば一目瞭然です。やはり一流になる人は、それに対する打ち込み方が半端ではありません。集中力も凄いです。単に才能だけではなく、それに打ち込んでいく情熱が凄いのだと思いました。過去に本当に様々な一流人が紹介されました。毎回観るたびに引き込まれてしまう内容なのは、この番組の作り方もあるのかもしれません。一流人になっても、悩みは尽きないでしょうし、常に何かと戦っているのだと思います。その様子を見ていると、やはり波の努力では一流にはなれないものだと思ってしまいます。ですが、少しでも自分の目標や理想に近づくためのノウハウを一流人の生き方から、何らかのヒントを得られれば良いと思って観ています。こういう人たちがもっと増えれば、世の中はさらに良くなっていくような気がしています。

50代男性

数学のカリスマ教師の回がありました。その先生は一風変わった感じがするのですが生徒からは絶大な人気でした。学力を上げようとは思わない、教えなくても人は育つなどこれまでの常識を覆すものでした。ダメでいい!ダメがよいと言います。ダメな奴ほどダメじゃないとは聞いたことがあります。その先生はエリート学校から児童養護施設まで幅広く活躍する珍しい人です。生徒達も学力を上げようとして来てる訳じゃなく、面白いから来ているまで言います。面白い授業は生徒達の心を鷲掴みにしてしまいます。数学はなぜするのか?電卓があればいいじゃないかという人もいます。私はそうは思いません。数学は二の手三の手とあり解き方はいろいろです。これは人生に似ていると思います。なぜなら途中で躓いたり、引っかかったり、迷ったり、誘惑があったりと人背に似てるからです。目的地に行くのに、単純な道、くねくねした近道を使っても到着する時間は同じだからです。これも数学に似てる感じがしました。学校で習ったことは社会に出れば役に立ちませんが、くだらないことをどれだけやれるかは仕事に似ています。仕事も同じことの繰り返しなので、学校で習ったことは意外と役に立っています。

40代男性

『まだスタート地点に立っただけだから』
こう話したのは、楽天株式会社のCEOである三木谷浩史さんだ。楽天株式会社は、日本のインターネットを展開するIT企業。幅広い事業展開を確立しており最近では、モバイル事業にも本格的に参戦した。私がこの回を観たのも密着取材を得意とするプロフェッショナルで普段、見れない表情や苦悩、今後の目標など三木谷CEOの仕事の流儀とは、どんなマインドなのか気になったからだ。楽天を立ち上げた当初から必ず行っていることがある。それは、全社員が行う会社内の清掃だった。隅から隅まで清掃する。CEO自らも清掃をしっかり行う。綺麗にされたオフィスは、見た目もだが仕事に打ち込める環境作りの大事さが改めて良く分かった瞬間だった。また非常に興味を持った会議があった。それは、1つの会議室で社員が集まり各事業のプロジェクトや進めている事業など失敗した案件のみを行う会議だった。これは、失敗は成功の元を意識した失敗から新しい案を産み出して更なる成長へ向けたポジティブな会議に捉えた。成功者とは、必ずしも最初から成功しているわけではなく失敗や挫折から新たな事を学びそれを糧に自分自身が今後、何をすべきか考える努力や学びを忘れない人物だと思う。清掃もそうだが継続する事で何をすべきか分かる。行動する事で未来が変わる。プロフェッショナルを視聴するといつも前向きになる。

20代女性

脚本家・坂元裕二さんの回が一番印象に残っています。私は坂本さんのドラマ作品の大ファンで、ほとんど全ての作品を観ましたが、ご本人がテレビやメディアを通してお話しされる機会が少ないので、番組で取り上げて頂けてとても嬉しかったです。脚本づくりの様子はとても興味深く、キャラクターひとりひとりの性格を細かく書き上げていく様子を見ていると、人の事をよく観察し、その背景を想像できる人なんだろうなと思いました。坂本さんが書きたいのは、人が人を好きになる「過程」だったり、悪者とされている人がどんな「経緯」でそうなってしまったのか、という「時間の流れ」だったり、「感情の隙間」なのだろうと感じました。ストーリーを作者の都合で創り上げるのではなく、キャラクターのもつ背景や感情を無視せずに、フィクションだけれどノンフィクションとして描いているところが素敵でした。また、視聴率やトレンドを重視しなければならなかった時代に違和感があったからこそ、よりリアルな作品作りに力を注いでいるようにも見えました。『どんなに面白いストーリーより、本当にその人たちが生きているように見えることが一番好きだし、自分でもそういうのを作りたい。』という坂本さん自身の言葉を聞いて私は、彼の作品は、真摯で嘘のない作品だからこそ大好きなのだと改めて感じました。

20代女性

私が一番心に残っているエピソードは宮崎駿監督です。当時、ジブリ作品にはまった私にとって神様のような存在でした。一度でいいので、神様を見てみたいと思い探していて、テレビで映ると聞いて、しかも仕事をしているところも映るということで、録画して何回も見ました。とても温和な方で、優しいおじいちゃんというイメージがあって、その通りの人でした。笑いながら自分の作品について語る姿は、とても嬉しそうで、簡単にできると思えるほど、仕事を話すので衝撃でした。原画一つ一つがあれだけ細かくやるのに、簡単に話をする姿を見て、驚きを隠せませんでした。宮崎駿監督が他のアニメの監督と違うのはファンタジーを描いてるのだけど、作者の考えとか、主人公の苦難など、現実の私たちにささるような内容であるのが特徴だと、かってながら私は考えてます。『風立ちぬ』はまさにそうだと思います。もちろん、ファンタジーなんだけど、当時の時代の苦悩などをしっかり描写されていて現実的に映りました。当時の背景もしっかりと描写されていて、駿監督らしいきれいな景色は忘れられません。『風の谷のナウシカ』から長い間、監督として現場にたって、人気作を連続で出すというのはとてもすごいと思いました。

30代女性

毎回ではないですが、実演する方によって見させてもらっています。少し前になりますが、吉永小百合さんの回が印象に残っています。母が大好きな女優さんのため、母のために録画をして一緒に見ました。それまでこのような番組の取材は応じられてなかったとのこと、貴重だと思いました。吉永小百合さんが出演する映画は、ご本人の人柄がそのまま出ているという印象を受けていましたがそうではなく、ひとつひとつに役作りをしていらっしゃるのだというのは発見でもありました。ロケ地に足を運んでその空気に触れたりすること、自分の身体だけでそれを表現すること、それが人を感動させるものであること。単にテレビや映画で見られない素の部分を映し出すのではなく「仕事」人としての一面を見られて興味深く拝見しました。
私の年代からすると、吉永小百合さんは物心ついた頃から「大女優」という印象です。若い頃は役のイメージに苦悩されていたという事実は初めて知りました。同じ仕事を何十年もやること、やり続けることの信念のようなものを感じました。
「私、アマチュアですから」とおっしゃっていたのが特に印象的でした。このような番組ですと、出演される方はたいてい「自分はプロとして、、、」ということをおっしゃると思います。それを「アマチュアである」という位置に自分を置かれている。そういう仕事の見方があるのかと考えさせられました。
このような番組では、出演者の方の普段の様子が見られ、親近感が沸くものですが、この回では逆に吉永小百合さんの圧倒的な存在であるということを思い知らされました。また素敵な番組を期待しています。ありがとうございます。

30代男性

漫画家井上雄彦の回は印象に残っています。今は連載が止まっているバガボンドですが、放送当時は毎週の連載に追われる井上雄彦がどうやって漫画を生み出しているのかの苦労がまざまざと感じられました。まず何より漫画のベースとなるネームがまったく描けない日々。締め切りが迫り、心に余裕がなくなっていき、焦る姿。漫画の登場人物に感情移入し、感情移入しすぎて、無気力に陥ってしまう姿。漫画は基本的に描きたいものを描くということなのかもしれないが、登場人物によってはまったく描きたくないことも描かないといけない状況もあり、その人物を描けば描くほど、自分が壊れていくこともあるんだなと思います。特にリアルに近い表情を表現できるのはそこまで感情に入り込み、それを描写することによって生み出されているんだと。世の中にはいろんな人間がいて、今まで自分しかなかったことが、自分ではない違う人を描くとなったときに、はじめて違う人の感覚になるのかもしれないと思います。そんなことを繰り返しながらいつも漫画を描き続けている井上雄彦の姿によく精神状態を正常に保ち続けられるなと驚きますし、そこまで入り込めるから人を惹きつける絵を描けるのだと思いました。

30代女性

今回の放送では、大人気Youtuberのヒカキンさんとプロゲーマーの梅原大吾さんについてのお話でした。Youtuberもゲーマーも社会的には軽視される傾向があり、仕事として認められていない部分があると思います。昭和の世代でしたら、遊んでいると思われていたと思います。しかし、しっかり稼ぎながら、彼らは自分の好きなもので他の人を幸せにしているプロフェッショナルだと感じました。Youtuberもゲーマーも常に仕事に向かい合い、技術を高めていく。そして、その世界での頂点を目指して日々努力をしている姿はとても強くたくましかったです。甘い世界では全くなく、今世界が求めている仕事と自分の持っている技術を合わせていく。消して自己満足ではなく、その先にいる人々の事を想う気持ちが素晴らしかったです。Youtuberやプロゲーマーの方々を見る目が変わりました。もし自分の子供がYoutuberやプロゲーマーを目指すと言われると、やはり少し怖い部分があります。しかし、私の常識は未来の非常識。私の常識は日々古くなっていっており、今歩み続けている時代とは合わなくなっていると思います。子供達には世界を見つめ、自分を信じて自分の道を切り開き、創意工夫を貫ける人になって欲しいと思いました。視聴した事でいい発想を頂け、自分の仕事に対しても真摯に向き合いたいと思いました。

50代女性

広島といえばお好み焼き「いっちゃん」という地元で愛され、地方のお客さんから、外国のお客さんまで来店しいつも広島駅前店は大賑わい。1年で焼くお好み焼きは、18万枚だそうです。お好み焼き職人になったのは妻のお父さんがお好み焼きを焼く職人で「やってみないか」と誘われたからだそうで、それまでの人生は5人兄弟の末っ子ということもあり甘えて、何となく何をしたいかわからないまま、兄のお店で働いていたそうです。結婚して義理の父からの誘いに乗ったものの、兄弟子の真似、お父さんの真似・・10年焼き続けても美味しいと言ってもらえず「そこ、どいてくれる。」と言われ続け落ち込む毎日。でも諦めたくない!そんな時、義理の父が鉄板の修理をするから見ろ。といわれ、始めてオーダーメードの鉄板と知る。そこまでこだわり、たかがお好み焼き、されどお好み焼き。漫然と焼くのではない、キャベツの甘みをいかに引き出すのか。包丁の入れ方キャベツとの相性を確かめるように日々刻み方にこだわり、鉄板の高温の部分にキャベツが焦げる音の寸前まで待つことの大切さ・・知れば知るほど追い求め気が付けば広島1番のお好み焼き屋になっていたそうです。自分の事を「お好み焼きバカ」とおしゃられていましたが、極めるには「バカ」になる事の大切さを教えてもらいました。良い番組は続いてほしいです。