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<見逃し動画>7月18日放送 「伊豆大島〜なぜ伊豆大島といえば“アンコ椿”!?〜」
 
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7月18日放送の公式あらすじ

都はるみ「アンコ椿は恋の花」でも歌われた“アンコ”と“椿”。伊豆大島の2大名物が島の人の暮らしをどう支えているのか?タモリさんが島中をブラブラ歩いて解き明かす!
 
「ブラタモリ#164」で訪れたのは東京都の伊豆大島。伊豆諸島で最大の火山島であるこの島の人々の暮らしを「アンコ」と「椿」に注目してたどる▽「アンコ椿は恋の花」の歌詞にタモリが迫る!恋の歌を生んだ地形・火口壁の痕跡を、歌の舞台・波浮港で発見!▽謎の「ハマンカー」の正体とは!?▽島を支える「アンコさん」パワー!97歳・元アンコさんを訪ねる▽精油工場で椿油の“お役立ち”を見学▽なぜ大島には椿がたくさん?
 
<出典>NHK公式

7月18日放送のネタバレはここをクリック
今回は東京都・伊豆大島をブラタモリでした。
タモリさんも来たことがないという「波浮港(はぶみなと)」。
 
かの有名な都はるみさんの大ヒット曲「アンコ椿は恋の花」の「あんこ」とは?
また伊豆大島は「椿油」が特産品なのですが、なぜこんなにこの土地には沢山の椿が植えられたのかに迫ります。
 
 
「アンコ椿は恋の花」
ブラタモリ一行が初めに降りたったのは「波浮港」。
 
♪三日おくれの 便りを乗せて 船は行く行く 波浮港
作詞:星野哲郎、作曲:市川昭介
 
1964年に発売された都はるみさんの3枚目のシングルです。この歌の歌碑が波浮港にあります。
タモリさんが見渡すと波浮港はぐるっと丸い形になっています。
 
そこへ今回の案内人の伊豆大島ジオガイド・西谷香奈さんがやってきました。
まずは波浮の港町を歩いてみることになります。
 
 
恋の歌を生んだ地形「波浮港(はぶみなと)」
かつては多くの旅館が並んでいたメインストリートは「火口壁(かこうへき)」に沿って、丸くなっています。港の入り口から360度ぐるりと囲まれているのです。
 
かつてこの港は火山の火口でした。
火口には雨水など沢山の水が溜まっていたのですが地震の津波により一部が流されて開いたために、海へ出入りする事ができるようになり、港として発展することとなりました。
 
火口壁にぐるりと囲まれているため漁に出て風が強くなり続行が難しくなった船が「風よけ」のために寄港したのです。
伊豆大島の近くの海底には多くの浅瀬があって天然の漁場(ぎょば)であり、風よけとして良港だったため多くの船が集まってきます。
時化(しけ)が何日も続くと乗組員は港から島へとあがりお酒を飲んだりと長く滞在することも。
こうして港町の女性と漁師の恋物語が生まれ「アンコ椿は恋の花」の歌詞の元になったのですね。
 
次に案内されたのは「ハマンカー」があるところ。
「ハマンカー」とは実は井戸なのです(浜の川がなまったともいわれています)。
 
島は「スコリア」という石(マグマの破片のため穴が多くあいている)などで出来ていて地表には水がとどまりにくいために川がありません。
雨は地下へとしみこみ、島の地下には塩分の多い「塩水」の層と「雨水(真水)」の層の2層ができます。塩分の多い「塩水」のほうが下にたまり真水とは混じり合わないのですが、その雨水(真水)の層をできるだけ地下へ短い距離を掘って手軽に手に入れられる井戸として「ハマンカー」ができたのです。
真水を取りすぎると塩水が混ざってしまうので飲み水ではなく「雑水」としてハマンカーの水は使われていました。
さて島の人々は「飲料水」どうやって手に入れていたのでしょうか。
 
 
「アンコ」と「椿」
ブラタモリ一行は案内されアスファルトの道沿いを行きますが、舗装されている道路から急にそれてうっそうとした林の中へと入ります。
 
そこには道がありました。結構険しい道が続き、両側に火山灰の地層がある場所を抜けると「水をとるために作られた道」が現れます。
さらにその先には貯水小屋があり岩場に水が溜まっている場所が。
 
貯水小屋は山の中にあるのでここまで塩水は上がって来ません。
島の地層にも水を通しにくい場所が少しあり、そこに雨水がたまります。
年月が経過して谷となる部分の地層が削れると、その地層の側面から真水がしみだしてくるのです。それを見つけ「貯水場」として皆でここを利用していたのです。
 
そこへ現れたのは以前この島で40年以上バスガイドをしていた山下由美子さん。
アンコさんの装いで頭には桶を乗せての登場です。
島に水道が通るまで(50年程前まで)この険しい山道を毎日水を汲みに来ていた「元アンコ」さんがおられるので連れて行ってもらいお話を聞きます。
 
 
アンコさん
「アンコ」と「椿」は別々の言葉で、元々島には「アンコ椿」という言葉はありませんでした。
アンコとは、実は島の言葉で「お姉さん」「あねさん」を示します。
 
元アンコさんの坂上(さかうえ)モンさん、97歳。
ブラタモリを毎週見ておられるらしいです。今、足はお悪いのですが座って桶を頭に乗せてみてくれます。
 
モンさんの話によると桶の8分目ほどまで水を汲み、その表面に椿の枝葉をちぎって入れたのだそう。そうすると頭がフラフラとして乗せた桶が揺れても水があちこちに飛ばないのだそう。前垂れ(エプロンのようなもの)をねじり、ぐるっと輪にして頭に乗せて桶を安定させる土台にしていたそうです。
 
女の子は小さい時には小さめの桶をもって海へ行き、遊んで泳ぎを練習します。そして帰ってくるときはその桶に海の水を汲んでくることになっていたようです。島では昔から塩も水もとても貴重なものだったのです。
そんな暮らしの中で多く魚が取れた時の保存のためにできたのが「くさや」だそう。
なんども繰り返し塩水を使ううちに浸けた液が発酵、独特の香りを持つ干物が出来上がっていったのです。
 
また山道は細く険しいので徒歩の方が確実だったので女性は毎日なんども水くみをしていました。その女性達を「アンコさん」と呼び、彼女達の頭上の桶の中に入れていたのは「椿」だったのですね。
これで「アンコ椿」の謎が解明されました。
 
昭和の観光ブームで伊豆大島にも多くの観光客が来ましたがその際には多くの「アンコ」さん達が迎えたそう。
残っている貴重な写真には若い女性が頭の上に桶の代わりに男性2人を乗せているものもあります。大層力持ちだったのです。働き者で力持ちな女性それが「アンコ」さん。
 
 
伊豆大島と椿
次に連れて行ってもらったのは「椿油」を絞っている工場。
100年前から同じ方法で椿油を絞っているのです。
椿の種を殻ごと砕いて蒸しそれを圧搾。絞り袋には大正時代にはナイロンが無かったため人毛が使われていました。
パンケーキのような甘く香ばしい香りがするようです。
椿油でトンカツを作るととても美味しいそうですよ。甘さと最後に渋みが来る油だそうです。島の生活を支えてくれた椿油です。
 
伊豆大島には多くの椿が植えられています。
椿は葉が厚く、表面はワックスのようなものでコーティングされています。
椿の木は、まずは防風林として塩と風を避けるため畑を囲むように植えられていたのですね。
 
さらには伊豆大島は火山の島なので「火山灰」にも強くなくてはいけません。椿は葉の表面がつるつるなので灰が乗っても落ちやすい特徴があるのです。
伊豆大島の土は水はけも良く椿の根が張りやすく、この島に向いていた植物が椿だったのです。そしてその種からは良質な油がとれます。
この島には300万本もの椿があるのだそう。昔からの知恵だったのでした。
7月18日放送の感想はここをクリック
椿油はヘアケアに良いというのは知っていましたがまさか、食べられるとは。
でもとても高価ですからそう簡単には無理なのですけれど、とても気になりました。
 
そして都はるみさんの「アンコ椿」の歌の歌詞の謎は、伊豆大島の生活を支え続けていた女性達の「生活と知恵」が凝縮されている言葉だということが良くわかりました。
 
塩と水を大切にするために生まれた「くさや」など、島の生活は生きるための知恵のフル活用だったのですね。
 
「アンコ椿」の歌のイメージがすっかり変わった回でした。
<見逃し動画>7月11日放送 「葉山〜“憧れの葉山”は どうできた?〜」
 
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7月11日放送の公式あらすじ

ヨット・御用邸・別荘…葉山が「憧れの町」になった理由をタモリさんが海で町で解き明かす▽石原裕次郎も愛した葉山の海の魅力とは?▽なぜ葉山に皇室の別邸が建てられた?
 
「ブラタモリ#163」で訪れたのは神奈川県の葉山町。日本有数のヨットの町であり、さらに御用邸があることから皇室ゆかりの地としても有名な葉山の秘密を探る▽「江ノ島ごしの富士山」絶景の魅力!▽ヨット乗りが憧れる葉山の海・その秘密は複雑な風にあり!?▽入り組んだ山の地形をつくる「葉山層群」とは!?▽皇族のかつての別荘を訪ねる▽“憧れの葉山”をゆるがした鉄道の計画とは!?
 
<出典>NHK公式

7月11日放送のネタバレはここをクリック
今回のお題は「憧れの葉山はどうできた?」です。
タモリさん達一行が訪れたのは神奈川県の葉山町。タモリさんは学生の頃からヨットが好きでこの葉山のヨットハーバーに来られて大喜び。
 
葉山には「ヨット、皇室の葉山御用邸、昔から有名な別荘地」などの高貴なイメージがあります。
 
まずヨットと葉山が有名になったのは、1956年公開の石原裕次郎さんの初主演大ヒット映画『狂った果実』からでした。
多くの若者が熱狂しました。
葉山のヨットが「お金持ちでお洒落」のイメージが定着したのです。
 
この葉山の地形や地層を探索し、御用邸を訪ね、この葉山が昔から静かな別荘地であり続けられた理由など、それぞれを知る痕跡となるものが残っている場所を歩きながら探っていきます。
 
 
「江ノ島ごしの富士山」絶景の魅力!
実際にタモリさん達が葉山のヨットハーバーからヨットに乗って海に出てみると、残念ながら今回は見えなかったのですが、空気が澄んで天気が良ければ「江ノ島越しの富士山」が美しい景色となって目の前に現れるようなのです。
名残惜しいタモリさんでしたが、地上に戻ります。
 
 
ヨット乗りが憧れる葉山の海・その秘密は複雑な風にあり!?
景色が良い、一年中温暖な気候そしてヨット乗りには、季節や海域により変わる複雑な風が吹く、というのが魅力的という条件が揃っていました。
 
この複雑な風が吹く入り組んだ山ができたのはどんな理由からでしょうか。地層を見られる海岸へと行ってみます。
 
 
入り組んだ山の地形をつくる「葉山層群」とは!?
海岸へ行くと泥岩がごつごつと現れている場所に出ました。
そこはくっきりと断層が見る事のできる「森戸(もりと)海岸」でした。
森戸海岸には砂岩と泥岩が混在しています。この固い地層を「葉山層群(はやまそうぐん)」と呼びます。
 
実は断層があると、その場所は崩れやすく風雨にさらされて浸食などにより削られていきます。
葉山層群は「泥岩」でできており、かなり固い地層です。
この固い泥岩が残り他の部分が削られていったのが葉山。
 
実は葉山には東西南北、数多くの断層があちこち複雑に分布しています。
年月が経ち泥岩以外の場所は平地になり、残った地層の一部が山となり、この入り組んだ山が複雑な風を海まで吹かせていたのです。
 
 
皇族のかつての別荘を訪ねる
葉山町は明治20年代にドイツ人医師が保養地として紹介し、多くの皇室関係者が別荘を作っています。
葉山御用邸は1894年(明治27年)に建てられ、御用邸の中では最も歴史の深い邸宅です。
なぜ葉山に御用邸がたてられたかと言うと「風光明媚」「東京に近い」の2つがまず考えられます。
そして地形的に東西に谷がありその谷は横須賀まで道となり続いていました。
 
横須賀は明治時代、大切な海軍の拠点となっていました。
当時「日清戦争」(1894~1895)が勃発、有事の際には天皇陛下が横須賀まで行きやすかったのです。天皇陛下は軍の大元帥(だいげんすい)だったのです。
 
先にも述べた通り、葉山には御用邸だけではなく、いくつもの皇族の別荘がありました。
今も残るその1つが現在は幼稚園となっている土地を抜けたところにある洋館です。
そこは東伏見宮依仁親王(ひがしふしみのみや よりひとしんのう)の「東伏見宮葉山別邸」です。
大正3年(1914年)に建てられ葉山に唯一現存する宮家の別荘です。
今は修道院の施設として利用されています。
洋館が残っているのみですが建設当時は和館も繋がっていて炊事場やお手伝いさんたちの住居などがありました。この邸宅の前の道も実は横須賀に繋がっています。
依仁親王も皇族の軍人で大日本帝国海軍大将でした。そのため横須賀への道が重要視されていたのです。
 
邸宅内部は1階は迎賓館的な役割を果たす高い天井をもった構造になっていましたが、2階はプライベート空間でした。寝室は和室です。
2階のサンルームの窓からは水平線の向こうに富士山が見えていたようです。
鎌倉や大磯など周辺の地域などにも別荘地はありますが、江ノ島のある海越しの富士山が見えるのはここだけなのです。
 
また皇族別荘だけでなく他にも多くの別荘が次々と葉山には建てられました。海沿いだけでなく内陸にまで別荘が多くあったのです。
 
ここはなだらかな丘陵地で、ひな壇上に別荘を建てやすかったためです。
それぞれの邸宅から海越しの富士山が見える土地だったために人気別荘地となったのでした。
憧れの葉山はこうして出来あがっていきました。
 
 
“憧れの葉山”をゆるがした鉄道の計画とは!?
大正から昭和にかけて「憧れの葉山」を揺るがしかねなかった計画が持ち上がっていたそうです。
タモリさん達は京急「逗子・葉山駅」を訪ねます。
葉山には鉄道が通っていません。
なので、京急電鉄さんはお客様に「ここが葉山へのアクセスポイント」だということを広く理解してもらおうと、駅名に地図的な土地名は「逗子」であるのにもかかわらず「葉山」の地名を入れたそうです。
 
大正6年時の計画は、湘南電鉄(京急の前身)を葉山の別荘地の中央を通そうとするものでした。
電車が通ると景色も変わり、人が多く往来するために賑やかになっていたかもしれません。
 
しかしこの計画は「葉山層群」の固い地層と複雑な断層があったため、当時の技術ではトンネルを掘ることが困難だったのです。
葉山は不思議な事に地質図通りに町ができている面白い場所でもありました。
逗子と葉山の境界にあった「葉山層群」が実質的に鉄道を拒んだため静かな「憧れの葉山」が守られたのでした。
7月11日放送の感想はここをクリック
葉山というとサーフィンや海のイメージが強くあり、お金持ちの別荘地なんだろうなと漠然としたイメージしかありませんでしたが、なるべくしてなった「別荘地」だったのです。
 
まさか地層に阻まれたために「静けさ」や高層マンションなどが建たない良い場所が残ったとは思いませんでしたね。
 
やっぱり海と富士山は日本人の心の拠り所、静かで昔から変わらない、こういう場所はずっと残っていて欲しいですね。
 
タモリさんが家を建てた時に富士山が見えていて「これは良い!」と喜んでいたのにすぐにマンションが建ってしまって、富士山が全く見えなくなったという話はなんとも切なかったですね。悲しい日本の住宅事情です。
<見逃し動画>6月20日放送 「福井・一乗谷~アンコール~」
 
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6月20日放送の公式あらすじ

大河ドラマ「麒麟がくる」で注目!越前・一乗谷の秘密をタモリさんがブラブラ歩いて解き明かす ▽戦国時代に繁栄した城下町はなぜ“消えた都市”となった? 2019年2月に放送した番組のアンコール。
 
<出典>NHK公式

6月20日放送のネタバレはここをクリック
今回のお題は「福井のルーツは“消えた都市”にあり!?」。
 
現在の福井市のルーツとなった都市が過去存在していました。それは一乗谷。
文化人としても優れていた義景の時「一乗谷文化」も栄えたのですが5代目当主の義景は浅井氏と同盟を組み織田・徳川軍と激突することになってしまいます。
 
1573年「刀根坂の戦い」で大敗後義景は自害し、朝倉家の繁栄もここで幕を閉じます。
 
しかし50年ほど前に福井市の南東約10キロの場所に戦国時代に朝倉氏5代が、103年間越前の国を支配した「城下町跡・武家屋敷・寺院・町屋・職人屋敷や道路に至るまで」の町並がほぼ完全な姿で発掘されたのです。
 
国の重要文化財・特別史跡・特別名勝に指定されている「一乗谷朝倉氏遺跡」が発見されたことで朝倉義景の繁栄の痕跡が解明されてきています。
 
ブラタモリ一行は当時の城下町の人々の暮らしぶりや文化、経済の発展について考えていきます。
また現在の福井市に戻り一乗谷が無くなった後にここに移り住んだ人々の生活や、今も受け継がれる朝倉氏の家紋に隠された「一乗谷プライド」にも迫ります。
 
 
福井駅前
JR福井駅西口駅前広場には福井で生息していた「フクイラプトル、フクイサウルス、フクイティタン」の動く3体のモニュメントが設置されています。
 
そこで今回のお題の発表。
「福井のルーツは“消えた都市”にあり!?」
タモリさん達はローカル線JR九頭竜線(越美北線)に乗り一乗谷駅へと向かいます。
 
 
巨大な石の門
到着したのは一乗谷駅。
福井市の東方にある山奥の谷で足羽川(あすわがわ)に注ぐ支流が流れ険しい山に囲まれた谷。かつてはこの谷の1.7キロの場所に推定1万人もの人が暮らしていたというのです。
 
最初に出会ったのは巨大な石を用いて作られた強固な門。
左右は険しい山があるので前後を巨大な石の門で守りを固めていたのです。
戦国時代は下克上が常。そのため何よりも城の守りを重要視していました。
 
 
町家の街並みの遺跡
巨大な石の門から、クランク状の道をたどると開けた場所に出ます。
そこには井戸(の跡)が点々とありました。
当時は町人の生活では共有の井戸が普通だったのにここでは1家庭に1個。
水路が整備され全国初のトイレの「金かくし」も発掘により見つかっています。
 
かなり先進的なインフラの整備がされていた様子が伺えます。
また町家の並びの奥には一段上がった場所に建てられた大きな邸宅があります。
医者の邸宅跡で、そこからは中国の医療書の痕跡も発見されていました。
 
このように木片などまでが発掘されるのには理由があります。
焼き討ちの後の土地は埋め立てられ、水が張られ水田が作られたのでした。
水中にある木片は朽ち果てにくいので文字すら読み取れるほど良い状態で発掘されることになったのでした。
 
 
復元された武家屋敷の町並み
町家の遺跡を出て朝倉義景邸を目指す途中に武家屋敷の町並み、それも道路までもが見事に再現されているのですが、なぜかその間に町家も数軒紛れこんでいます。
再現された建物は陶器を売っている店のようで、内部も再現された場所では町人(役者さん)の男女が話し込んでいます。商売をする町家が紛れこんでいるのは武士の力にもまして商人文化が経済が非常に発展していたことを示しています。
 
 
朝倉義景邸跡
朝倉義景邸に到着すると立派な唐門に朝倉の家紋が刻まれています。
邸の遺跡からはガラスの欠片が出土しておりそれは「ベネチアングラス」の一部のようです。一乗谷は水路を活用し海外と繋がっているとても発展した都市だったのです。
しかし朝倉義景が織田信長の焼き討ちで自害「一乗谷」は丸ごと滅亡の一途をたどってしまいました。
 
 
福井城跡
一行は一乗谷から現在の都市である福井市の福井城を訪れます。福井藩主が築いた福井城の御廊下橋(おろうかばし)、山里口御門(やまぐちざとごもん)など多くの建造物が再現されていますが、特に山里口御門の屋根の瓦は白いことに気が付きます。
よく見るとそれは焼き物の瓦ではなく高級な石材の「笏谷石(しゃくだにいし)」を削り出したものが使われていまました。
実はこの笏谷石は一乗谷の町家の井戸の周囲の復元にも使われていて福井を代表する石材でした。一乗谷とのつながりを示す物はここにも残っていました。
 
 
丹巌洞(たんがんどう)
一行は、市街地の中の現在は料亭として使われている「丹巌洞(たんがんどう)」へと進みます。
ここは庭の建造物の全てが笏谷石で作られており見事な庭の灯篭までもが笏谷石でした。巨大な塊を掘り出して削り作られているのです。
 
丹巌洞は福井城の近くの、山自体が笏谷石でできた「足羽山」の石切り場の跡を再利用したものであるためここまでの大掛かりな笏谷石を用いた建造物を作ることができました。
 
この丹巌洞の前に今は埋め立てられ道路となっているカーブした道を発見する一行。
それこそがこの足羽山から笏谷石を切り出し水路を使って三国港から全国各地へと運ぶ産業を盛んにした痕跡でした。
一乗谷から福井市内へ移ってから福井に経済の繁栄をもたらしたのはこの美しい石材・笏谷石だったのでした。
 
 
呉服町商店街
次に一行は現在の福井市の呉服町商店街を訪れ地名に「下一乗町」と「一乗」が入っていることに気が付きます。そして「田島商店」という名の店を訪問します。
 
そこは一乗谷から移り住み現在18代店主が営む店舗、福井で最も古くから営まれている商店でした。江戸時代の地図にも組頭として10代国島和三郎氏の名が載っています。
 
田島家の奥様が取り出してきてくれた着物には「朝倉」の家紋が入っています。
田島家の家紋は代々男性に受け継がれ、女性にはこの朝倉の家紋が受け継がれているのです。
 
一乗谷に移った時に一番の商家だった田島家には朝倉家から姫が嫁いだという事実を現在まで残し、朝倉の名を決して忘れぬようにしていた事が良くわかります。
「一乗谷プライド」なのでした。
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私は福井県とは全く縁がなく「一乗谷」という名称は知っていましたがこんなにも歴史が古く色々な事を現在にも受け継いでいるとは全く知りませんでした。
 
「麒麟が来る」ではユースケ・サンタマリアさんが演じている朝倉義景。彼が治める一乗谷にはとても進んだ煌びやかな文化があったことも知らなかったので大河ドラマを見るにも全く違った目線で見られそうですね。
 
そして「朝倉の家紋」を花嫁衣装に入れ「朝倉」の名を忘れない、歴史を忘れないようにしているすごい執念を今の福井市内にも見られるのは強烈でした。普通に観光していたら見せてはもらえない貴重なものを見て面白かったですね。こういう深い部分まで垣間見れるからブラタモリは面白いのです。
<見逃し動画>6月6日放送 「釧路湿原~アンコール~」
 
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6月6日放送の公式あらすじ

野生のタンチョウ・エゾシカに興奮! 「世界に誇る釧路湿原のスゴさとは?」貴重な大自然が4000年保たれる秘密をタモリさんがズブズブ歩いて解き明かす。 2019年7月に放送した番組のアンコール。
 
<出典>NHK公式

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タモリ大興奮
まずは釧路湿原を一望できる展望台に立つ。見渡す限りの湿原に「全部湿原ですか」と当たり前のことを聞く林田アナウンサー。「すごい」を連発し、「ここ来なきゃダメだよ」と大興奮のタモリ。
 
そこに今回の案内人である釧路国際ウェットランドセンター技術委員長・新庄 久志さんが現れる。釧路湿原の成り立ちや生態系を長年研究してきたスペシャリストである。
「釧路湿原は日本の湿原全体の何割を占めると思いますか」と質問されて、タモリは「シツゲンと言えば国会議員ですか?」とボケる。
新庄さんによると、釧路湿原はもともと海の底だったが、土砂の堆積によって砂丘がどんどん成長し、対岸に達したことで入江が閉じ込められ、さらに海水面の下降によって湿原になったのだという。すでに3000~4000年前に今の風景と同じような湿原があったそうだ。
湿原はふつう年月とともに陸地になってしまうものなのに、釧路湿原の場合は、4000年もの間、湿原が湿原のままで保たれているということになる。なぜそのようなことが可能だったのか。
 
 
釧路湿原を潤しているもの
釧路~網走間を結ぶ釧網本線に乗るため釧路湿原駅に着く。そこで新庄さんが近くの水の流れにタモリたちを連れていく。水はどこへ流れていくのだろう。行先をたどっていくと、釧路湿原に流れ込んでいることが分かる。
かつて海の底だったこのあたりは海岸段丘のため土壌は砂地で、雨水がしみ込みやすい。よって湧き水があちこち(推定20000カ所以上)で湧き出しているだそうで、なかには1日に20トンも水が湧くところもあるという。その豊富な湧き水が常に湿原を潤しているのだ。
 
列車に乗って湿原の北端を目指す。車窓からは右も左も釧路湿原らしい風景が楽しめる。「絵の中の世界を通っているみたい!」と林田アナ。
湿原を潤しているのは実は湧き水だけではない。釧路川をはじめとする川もそうである。そこで一行はカヌーに乗って川を下る。しかし高低差がほとんどないため、川の流れは非常にゆったりしている。だがそのゆったりした流れが川の蛇行を生み、その蛇行こそが湿原を保つ重要な役割を果たしているのである。
 
 
「いぼる」?
蛇行している場所がどうなっているか見るために、タモリと林田アナは下船して歩き始める。ところが、あまりにぬかるんでいるため二人は驚きの声を上げる。タモリが「いぼる」という博多の言葉を紹介する。ぬかるみにはまるという意味なのだそうだ。
雨が降り水かさが増えると、川の蛇行部で水があふれる。それが湿原を潤す。そういう蛇行箇所が至るところにあるという。
 
 
釧路湿原は陸地化しないのか
しかし川は水とともに土砂を運ぶ。その土砂が堆積することで、湿原はしだいに草原化し陸地になってしまうのが普通だ。現に釧路川の川岸にも木が生えている。陸地化しようとした証だ。ところがよく見ると、裸木や枯木が散見される。それらは十数年前は葉がついていたという。つまり、木を森にし陸地になろうとする力と、木を枯らし湿原のまま留まろうとする力のせめぎ合いが行われているのだ。
 
 
タンチョウも大歓迎?
湿原が湿原であり続けるメカニズムを探るために、湿原を横断してさらに探索を続けようということになった。
横断中、一行は国の天然記念物タンチョウと貴重な出会いをする。2羽の雛を連れたつがいのタンチョウは非常に珍しいという。さらに7羽のタンチョウが雄大に飛翔する姿もみることができた。
 
 
泥炭
いよいよ釧路湿原の中央部に足を踏み入れる。ここは木が一本もなく、いわば「湿原の独り勝ち状態」である。「いぼり」続けるタモリと林田アナ。やがて「いぼら」なくなるが、トランポリンのように地面が揺れる。川そばで飛び上がってみると、川に振動が伝わり、水中の空気が押し出されて泡となって川面に出てくる。地面の土を掘ってみる。現れたのは土ではなく泥炭である。「泥炭」とは、枯れた植物が寒冷のため分解しないまま繊維のような状態で堆積したものである。林田アナが言うようにまるで「水を吸った綿」である。深さは4m。1cm積もるのに10年かかるといわれているので、4mは4000年を意味する。
 
 
謎の水たまり
さらに探索を続けるうちに、謎の水たまりを見つける。そこで若い林田アナが体を張って入ってみることになった。防水着を着て周りから支えてもらいながら水たまりに入る。すると「ゼリーか寒天の上を歩いているみたい」と林田アナ。ところが、そういう水たまりはあちこちにある。しかもそれらはつながっているようだ。どういうことだろう。
それは川が蛇行した跡なのである。湿原全域にそのような川の跡が見られ、毛細血管のように広がっていることが分かる。
 
 
循環する水
不思議なことはまだある。水はふつう海に向かって流れる。それなのに、湿原の西側では、水は海から湿原に向かって流れているのだ。
当然それは高低差に原因がある。釧路湿原は4000年前に砂丘が西から東に伸びたことでできたものである。そのためもともと西側では土砂の堆積量が多く、丘が高くなっている。それで、西側では川の水が南から北へと、湿原に向かって流れているのだ。すなわち、水が湿原をループし、くまなく流れることになる。
湿原を赤ん坊だとすると、湿原は青年になると草原になり、老年になると陸地になる。ところが釧路湿原の場合、水の流れが循環し、のた打っているため、湿原を常に若返らせているのである。「うらやましい」と林田アナ。「人間ものた打ったほうがいい」としみじみ言うタモリ。
 
 
氷河期の花が見られる
釧路湿原のすごさはまだまだある。そのひとつが温暖化によって姿を消した希少な花が見られることである。たとえば、ハナタネツケバナ。これが見られるのは日本ではここだけである。こうした氷河期の生き残りの植物が釧路湿原では100種類以上生存しているという。
しかし「夏は暑いよね」と疑問を呈するタモリ。そこで思い出したのが霧というこの地方特有の現象だ。釧路地方では親潮と黒潮がぶつかり合うために年間100日以上霧が発生する。その霧に覆われるため、釧路湿原は夏でも20℃を超えることはめったにない。これがハナタネツケバナが生き残れた原因なのである。
 
 
釧路湿原は名プロデューサー?
釧路湿原のすごさはもう一つある。摩周湖の絶景だ。
ある年齢以上の方にとって、摩周湖と言えば思い出すのが、布施明の「霧の摩周湖」というヒット曲である。しかし釧路湿原より80kmも北方の、どちらかと言えば内陸部にある摩周湖になぜ霧が多いのだろうか。南の釧路湿原から流れてくるとしてもなぜ途中で消えてしまわないのだろうか
それは、釧路湿原の低い気温と高い湿度が濃霧を送っているからである。いわば釧路湿原が「霧の摩周湖」という歌を生んだといえる。釧路湿原は名プロデューサーだったのである。
6月6日放送の感想はここをクリック
釧路湿原のすごさが実感できた。そばを通る電車に乗って窓から眺めるだけでは、広さに驚きの声を上げ、タンチョウやエゾシカ、キタキツネに癒されるだけで終わってしまうだろう。
 
しかしこの番組のおかげで、釧路湿原が4000年以上も湿原であり続いていることがいかに奇跡かがよく分かった。湿原はしだいに草原化し陸地になってしまうことが多いが、釧路湿原の場合は、毛細血管のように行き渡る川と、海流によって発生する霧が、湿原を常に若返らせ、陸地化することを防いできたのだ。
 
そしてそのメカニズムが北方の摩周湖に霧をもたらし、「霧の摩周湖」という名曲まで生み出したというタモリの締めの言葉はジョークのようだが名セリフだと思った。<川がのた打つ>ことが湿原のアンチエイジングに役立ったきたというくだりで、タモリが「人間ものた打ったほうがいい」とポツっと言った一言がとても印象に残った。
<見逃し動画>5月30日放送 「黒部ダムスペシャル」
 
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5月30日放送の公式あらすじ

たくさんのリクエストをいただいた「黒部ダム」、2017年10月に2週にわたり放送した中から名場面を1本にまとめてアンコール放送!▽戦後日本を支えた奇跡の巨大ダム
 
「#86黒部ダム」「#87黒部の奇跡」(初回放送・2017年10月7日・14日)の2回を1本に再編集してアンコール放送!▽お題は「黒部ダムはなぜ秘境につくられた?」富山県の南東部・北アルプスの山奥という秘境に日本一の高さ186メートルを誇る巨大ダムが作られた理由をタモリさんが解き明かす▽工事期間7年・作業員のべ1000万人、「黒部の奇跡」ともいわれる戦後日本・世紀の大事業はどのように実現した!?
 
<出典>NHK公式

5月30日放送のネタバレはここをクリック
「黒部ダム」とは
黒部ダム(「黒4ダム」)は、高度経済成長時代を迎えるにあたり、深刻な電力不足に悩んでいた関西地域に電力を安定的に供給すべく、工期7年、作業員延べ1000万人、総工費513億円を投じて建設されたものである。富山県の南東部、北アルプスの山奥で行われた工事はしかし過酷を極めた。ダムはなぜ黒部という秘境でなければならなかったのか。その秘密に迫る。
 
 
秘境
富山県との境に近い長野県・扇沢駅(標高1425m)の前に立つタモリと近江友里恵アナウンサー。そこへ、今回の案内人である関西電力北陸電力部・土木グループに所属する上坂 薫さんが現われる。黒部ダムの構造から歴史まで知り尽くす男性である。
 
出発する前に、黒部がいかに秘境であるかを示す写真を、上坂さんが何枚か示す。まずは遠景。大峡谷にそそり立つ山の中腹に、横に一本の筋が走っている。何だろう。拡大すると、リンゴの皮をむいたように、人が一人通れるだけの幅と高さの路が断崖の回りに掘られている。もちろん柵などない。眼下は1500mの谷だ。そこを大きな荷物を背負った人が何人か歩いている。これはしかしまだマシな方で、この路が出来る前は、2、3本結わえた丸太の上を往来していたという。それを示す当時の映像も流れ、迫力満点だ。
 
 
困難を極めたトンネル工事
いよいよ出発。まずはバスに乗って、富山・長野県境となる赤沢岳(標高2677m)を貫く全長5.4mのトンネルを抜ける。
このトンネルは当初大量の建築資材を運ぶために作られたものだが、トンネルを掘ること自体、困難を極めたという。中でも最大の難所は、「破砕帯」と呼ばれる、岩盤が細かく砕けて砂のようになった軟らかい地層帯であった。その崩れやすい地盤と大量の湧き水が掘削作業を阻んだのだ。
 
タモリと近江アナはバスを降りて、「破砕帯」と標識のある80mほどの区間を歩く。途中、大量の水が今も湧き出しているところがある。水に手をやるタモリ。摂氏4度の水の冷たさに驚く。当時の作業員も連続1時間しか作業できなかったそうだ。実際の工事の様子を撮った映像が流れ、工事がいかに過酷だったかが実感できる。
 
 
黒部ダムの発電の仕組み
トンネルを抜け、まずは黒部ダムを上から見下す。そのスケールの大きさに驚嘆の声が上がる。ダムの高さ186mはもちろん日本一。およそ500mにわたって伸びるアーチが美しい。
 
上坂さんが黒部ダムの上で水面に浮かぶ取水口を指差しながら、黒部ダムの発電の仕組みを解説する。
水力発電とは、ダムで溜めた水で下流にある水車を回して電力を作る仕組みである。従って、巨大な電力を得るには大量な水と大きな落差が必要となる。
では肝心の発電所はどこにあるのだろうか。何と、ダムからは10kmも離れた地点にあり、高低差は545mもあるという。まずこの立地を確保するためにダムは黒部という秘境に作られる必要があったのだと上坂さんは言う。
 
また、黒部ダムは、谷の広さが変わる境目にあり、ダムの上流の川幅が広いため、水を溜めやすいという奇跡的な条件も重なった。
 
 
「くろよん」
黒部ダムは「くろよん(ダム)」のニックネームで知られる。その訳を上坂さんが解説する。もともと黒部川流域には黒部第二・第三発電所などの水力発電所が建てられていた。その上流に黒部ダムができ、黒部第四発電所が作られたことで、下流の発電所にも水を安定的に供給し、総発電量を約4倍に増やすことができたのだそうだ。。
 
 
豪雪は小さなダム
ここで一旦黒部ダムを後にし、周囲の地形を一望できる展望台(「大観峰」)へと向かう。そこへ行けばこの奇跡の地形が何故出来たのかが分かるという。
高所恐怖症のタモリが苦手とする、ケーブルカーとロープウェイを乗り継ぐ。標高差373mの急なケーブルカーは日本唯一の全線地下式である。自らの小さな影をはるか眼下に落とすロープウェイには、駅と駅の間に支柱が一本もない。そのタイプでは日本一の長さ(1.7km)である。大豪雪と頻繁な雪崩を避けて支柱は立てられなかったそうだ。ケーブルカーが全線地下式なのも雪崩による被害を防ぐためとのこと。しかしこの雪の多さがダムが黒部に作られた大きな理由の一つでもあると上坂さん。雪自体が水を溜めるダムの働きをしているのからだとタモリ。
 
 
黒部峡谷の成り立ち
黒部峡谷が一望できる大観峰につくや「すごい!」を連発するタモリと近江アナ。黒部ダムも小さく見える。そこに富山大学名誉教授の竹内章さんが案内役として登場。地形・地質の専門家で40年以上北アルプスの成り立ちを研究しているそうだ。
黒部峡谷を作っているのは立山連峰と後立山連峰である。では3000m級の山脈がこんなに近くで向き合う奇跡的な地形はどうやってできたのか。竹内さんがそれを明かす。
 
このあたりには2つの海を載せたプレートが押し合い、潜り込むことで、地下に通常の2倍の量のマグマが活動している。そのマグマの熱によって軟らかくなった地表に日本列島の東西圧縮の力が加わったらどうなるか。
 
ここで、そのプロセスを示すモデルとして面白い実験が行われる。チョコレートをトレーの上に平たく延ばし、下から熱し、左右からへらで力を加える。すると、チョコレートの中央部分が盛り上がり、なおかつ、盛り上がった「山」の中に縦の亀裂が生じた。これこそが立山と後立山の二つの連峰の成り立ちを示すものであり、その亀裂に雨水が溜まって川となり、浸食してできたのが黒部峡谷というわけである。
 
 
黒部ダムの仕組み
一行は再び黒部ダムに戻り、今度はダムの仕組みについて説明を受ける。
ここでタモリのかねてからの疑問が提起される。黒部ダムはアーチ式のダムと思われているが、そもそもアーチ式のダムは、水圧の力を両端の岸を押す力へと転嫁できるため、ダムの厚みが比較的薄くて済むのが利点である。ところが、黒部ダムは両端が岸に接していない。端付近で「く」の字に折れ曲がって岸に接しているのだ。どうしてなのか。
 
あえてそうしたのにはもちろん訳がある。両端の岸のすぐ後ろに谷があるため、受け止めるだけの力が岸の岩盤にないためだ。そこで考え出されたのが、ダムを前傾させることで下部に加重がかかるようにし、より強固な地下の岩盤に力を伝える工法だった。ダムの両端をくの字に曲げてから岸に接合しているのも、弱い岸の岩盤に負担をかけない工夫だそうだ。
つまり、両端部分はアーチ式ではなくコンクリート量の多い重力式とよばれるもので、黒部ダムはアーチ式と重力式の複合なのである。独特な形をした究極のフォルムというわけだ。
 
 
黒部ダムを守る工夫とは
最後に上坂さんは、黒部ダム内の取って置きの場所へと案内する。途中で安全帯を付けるよう求められ、やや緊張の面持ちのタモリと近江アナ。小さなドアを開けると太陽の光で目を開けていられないほどだ。出てみると、そこはなんと放水口のすぐ横である。立っているのはダムのコンクリートを点検するための専用通路だそうだ。水が大量の霧となって前方が見えない。
 
なぜ霧状なのか。ダムの真下の地盤を守るためだと答えるタモリ。霧状にせずそのまま放水してしまうとダムの真下の地盤に穴が空いてしまうのである。「よく設計しましたね」とタモリ。「人間ってすごい!」と近江アナも叫ぶ。
5月30日放送の感想はここをクリック
番組の最後の近江アナの叫びに尽きる。最初に思いついた人、設計した人、建設工事に従事した人、今もダムを管理・運営している人。みんなすごいの一言だ。延べ1000万人と言われる作業員の中には犠牲になった人も多かったことだろう。
 
現在、当たり前のように、暗くなれば電気を付け、暑いと思えばエアコンのスイッチを入れるという安楽な暮らしをしている私たちだが、そのように心配なく電気を使うことができていることにもっと思いを至さなければならない。
 
そして、奇跡の地形を作り上げ、今の暮らしを可能にしてくれた自然にも感謝である。
<見逃し動画>5月23日放送 「富士山スペシャル」
 
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5月23日放送の公式あらすじ

タモリさんが富士山頂を目指す!2015年10月に3週にわたって放送した富士山シリーズの名場面をギュっとまとめてアンコール放送▽「日本最大の高低差」にタモリが挑む
 
「ブラタモリ#19富士山」「#20富士山の美」「#21富士山頂」(初回放送2015年10月10・24・31日)・富士山シリーズの3回を1本に再構成してアンコール放送!「富士山はなぜ美しい?」「人はなぜ富士山頂を目指す?」のお題を探る▽タモリ70歳で人生初の富士登山に挑戦▽江戸時代の噴火で生まれた「宝永火口」で富士山の美しさに迫る!▽「ご来光」の秘密とは!?▽初登頂の山頂でとっておきのサプライズ!?
 
<出典>NHK公式

5月23日放送のネタバレはここをクリック
旅の始まりは浅間大社から
旅の出発にあたって神様に旅のご加護を願うのが古来の習わしというもの。そこでタモリと桑子アナは世界文化遺産にも登録されている浅間大社を訪れる。浅間大社の案内役、富士宮市立郷土資料館々長・渡井一信さんによると、浅間大社は何と室町時代に描かれた「富士曼荼羅図」にも描かれており、古くから富士登山の玄関口だったことがわかるという。無事登頂祈願を終えたタモリと桑子アナは、日本古来の登山道をたどって富士山頂へと向かう。
 
 
富士山の火口は山腹にも?
一行はまず、タモリが昔からぜひ行ってみたかったという宝永火口を目指す。そこへ行けば富士山の美の秘密が全て分かるという。どういうことだろうか。
一行は標高2400mの富士山五合目からスタートする。宝永火口は富士山の六合目付近だ。案内役は静岡大学教授・小山真人さんである。
 
少し登り始めただけで息が上がり始めるタモリ。「おれはどっちかと言うと海の男だから」と桑木アナを笑わす。登山道はごつごつした溶岩だらけで歩きにくい。「実は(今歩いている)このあたりからも噴火は起きているんですよ」という小山さん。驚くタモリ。富士山は山頂からだけではなく、山腹からも噴火するのだ。
 
歩くうちにタモリは珍しい溶岩を見つける。一般的な溶岩ではなく、北斎の「神奈川沖浪裏」の波のように荒々しくガサガサした質感の溶岩である。小山さんによるとこれは火山学で「スパター」と呼ばれる。火口から噴き出してすぐ傍に落ちた熱いマグマのしぶきが冷え固まったものだそうだ。比較的新しい平安時代の溶岩だという。
まもなく六合目という地点で、硬い溶岩の層と軽石のようなスパターの層が交互に積み重なっている岩の壁を見つける。立ち止まって周りを見渡すと登山道の両脇にスパターがあちこちに分布している。これは一体なぜなのだろうか。
 
小山さんによると、今一行が立っているのは浸食による谷間ではなく、「割れ目火口」と呼ばれるかつての火口の底なのである。火口は丸い形をしているとは限らないのだと、タモリと桑子アナは目を丸くする。
 
たしかに、上空から見てみると、富士山の山肌にはたくさんの割れ目火口の痕が走っている。その割れ目火口に沿うように登山道が整備され、その一つをタモリ一行は歩いているというわけなのだ。
 
さて、割れ目火口で噴火が起こると、噴出したマグマがしぶきとなって火口の両脇に落ち、スパターとなる。しかしマグマが大量のため降り積もったスパターの内部に熱がこもる。その内部が高熱のために溶ける。それが冷えると今度は固い溶岩となるのだ。こうして固い岩の層とガサガサした質感の岩の層が交互に折り重なった層ができ上がったのである。
 
富士山にはこういう割れ目火口が100カ所以上ある。その夥しい数の割れ目火口と大量に噴出する溶岩こそが富士山の美を作り上げたと小山さんは力説する。そしてその富士山の美の秘密が最も顕著に見られるのが宝永火口なのだ。
 
 
富士山はなぜ美しいのか
宝永火口に向かっていると、まるで巨大なスプーンですくったかのような広い谷間に出てくる。砂も細かい。これは割れ目火口の谷間とは異なり、浸食によってできた谷間なのだそうだ。
 
浸食とはどういうことか。小山さんによると、富士山は雪が消えることのない凍り付く山である。その凍った雪山に大雨が降るとどうなるか。「雪代」あるいは「スラッシュ雪崩」と呼ばれる現象が起こり、雪と土砂が混じり合ったシャーベット状の流れが氷を削る。たった一度で10mの峡谷を刻んだ例もあるという。こうした雪代はしかし富士山を傷だらけにし美をそこねる。
 
ではその傷だらけの富士山がどうやって美を保ってきたのか。その答えは富士山の度重なる噴火にあった。わずか2200年の間に30回以上も繰り返されてきた噴火活動を通じて、噴出した大量のマグマは富士山の深い谷を埋め地肌を整える役目を果たしてきたのである。まるで「噴火によるお化粧直し」である。
 
やがて宝永火口が目の前に現われた。長年の夢が叶い、宝永火口の縁に立って感激するタモリ。山頂火口よりも大きい直径1100mの大火口。そこだけまるで巨大なスプーンですくい取ったようだ。富士山の最も新しい火口だけあって、非常にきれいな地肌をしていることにも驚く。
 
宝永火口は江戸時代(1707年/宝永4年)の噴火(「宝永噴火」)によって出来たものだ。そのときは江戸の市中でも火山灰が2~3cm積もったという。御殿場では1mを超える場所もあり、2m以上積もって消えた集落まであったそうだ。
 
 
富士山の美の内側
いよいよ、富士山の美の秘密を解き明かすために、タモリと桑子アナは宝永火口の底に到達する。見上げると火口が絶壁のようだ。こうして穴が空いたおかげで富士山の内部構造が見ることができるのだと小山さんは言う。
 
ここに富士山の美をつくってきた痕跡が二つある。
 
まず一つ目は溶岩の層の重なりだ。「ミルフィーユのようだ」とタモリは形容する。樹が年輪を重ねて太くなるように、富士山もまた噴火のたびに溶岩の層を樹皮のようにまとって大きくなり、日本一の高さを築くに至ったのだ。
 
二つ目に、衝立のような形をした溶岩(「岩脈」)がたくさん見られる。これは割れ目噴火の痕だという。割れ目噴火が起きると、マグマは積み重なった古い地層を突き破り噴出する。噴火が終わると、地層の割れ目に「貫入」したマグマは冷え固まり、板状の「岩脈」になる。それが、宝永噴火でできた地の窪みと風や雨による浸食を受けて、周りより固い岩脈だけが残ったというわけだ。そして岩脈の多さは富士山の割れ目火口の多さを物語っている。
 
ここで小山さんが興味深いことを指摘する。岩脈がすべて同じ方向(山頂のある方向)に向いているというのだ。見るとたしかにそうだ。上空から見ると無数の岩脈が帯状にみな同じ方向に向いているのがわかるという。一体なぜそうなってしまったのだろう。
 
その秘密は地球を覆うプレートにあった。富士山を載せた伊豆半島はフィリピン海プレートの上に位置しており、そのプレートが南東から北西方向に向かって動いているために、マグマも、宝永火口の岩脈も、同じ方向に向いたわけだ。富士山の美にプレートも関係していたのである。
 
 
人はなぜ富士山頂を目指すのか
今度は富士宮市立郷土資料館々長・渡井一信さんが主に案内役となり、いよいよ富士山頂へ目指す。与えられたミッションは<人はなぜ富士山頂を目指すのか>の解明だ。実は目指す理由は昔と今とでは全く違うという。その違いとは何か。
 
昔と同じ登山道を登ってその謎を探る。九号五勺地点から山頂までは非常な急勾配で、最も険しい難所だ。黙々と重い足取りで登るタモリ。前日に70の誕生日を迎えたばかりだからきつい。しかしやがて頂上が見えてきて、すでに山頂にいる登山客から声援の声が掛かる。口をそろえて「誕生日おめでとう!」と言ってくれる人たちもいて、元気を取り戻すタモリ。
 
やっと山頂に着いた!ドヤ顔のタモリ。視界を遮るのは眼下の雲海だけだ。達成感も覚めやらぬまま、何はさておき登山の無事を報告するため浅間大社奥宮へ。ここは麓の浅間大社と20km離れているが、同じ神社なのだという。
 
神社を後にして山頂火口に向かう。直径700m・深さ200mの荒々しい大火口で、2200年前の噴火の痕が露出している。ここに古来、人がなぜ富士山の頂きを目指したのかの答えがあるという。どういうことだろう。
 
富士山の火口には縁を繞るように8つの峰(「富士八峰」)がある。古人はそれを一つ一つ、仏に見立てた。そしてそれぞれの峰に仏の名(地蔵菩薩/阿弥陀/大悲観音/釈迦/弥勒/薬師/文殊/寶勝如来)をつけ、その中央つまり火口の中に大日如来が現われると考えたのである。
 
それが「ご来光」とどう関係があるのか。大日如来が太陽の化身だからか。そういうことではない。実は「ごらいこう」という言葉に鍵があるのだ。
「ごらいこう」は元々「ご来光」でなく「ご来迎」(ごらいごう)だったのである。昔の人は太陽そのものを神様として拝んだのではなく、太陽を背にして火口に向かい、その中に現われる大日如来を拝んだのだと案内役の渡井さんは説明する。
 
しかしどうすれば大日如来の「ご来迎」を拝めるというのか。それは背後からの太陽光によって目の前の霧に自分の影が映る「ブロッケン現象」に答えがある。その現象が起こると、自分の姿を包む丸い光が仏の後光そっくりに見えるのだ。それを見て昔の人は、大日如来がご来迎になったと信じ、<再生>つまり自分が生まれ変わることを願った。そしてそれこそが人々が富士山に登った目的だったのである。
 
 
剣ヶ峰へ
山頂は日本の最高点ではない。まだ剣が峰を登らねばならないのだ。急坂を見てためらうタモリ。しかし若い桑木アナに促されて最高地点に向けて足を進め始める。
 
ふと見ると、一般登山客の中に、慣れている足取りですたすたと登る人がいる。それを真似してすぐに息が上がるタモリ。それを見てみんなが笑う。そんなことをしているうちに、ついに、3776mの地点に到着。
 
そこには困難を乗り越えたものにしか感じられない風が吹いていた。
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富士山の美の秘密は目からウロコだった。今までは富士山の美しさといえば、広い裾野に左右対称の偉容、青い山体と白い雪を冠した姿しか思い浮かばなかったが、浸食によって肌に傷を負い、噴火によって化粧し直すという営みの度重なる繰り返しによって成長してきた様を想像すると、富士山は生き物なのだと感じた。
 
富士山の最も新しい噴火は300年前だが、地質学でいう300年は瞬きより速い一瞬である。傷ついた肌に化粧を施す日も近いかも知れないと思った。
 
さらに、「ごらいこう」は「ご来光」ではなく「ご来迎」だったという発見はさらに感動的だった。てっきり太陽を拝むのかと思っていたが、むしろ太陽を背にして火口の中の大日如来を拝むことだったとは。そしてそれが自然の神秘的ないたずらによるものと知って、戦慄を覚えた。

ブラタモリの内容

公式サイト

街歩きの達人・タモリさんが“ブラブラ”歩きながら知られざる街の歴史や人々の暮らしに迫る「ブラタモリ」。
話題の出来事や街に残された様々な痕跡に出会いながら、街の新たな魅力や歴史・文化などを再発見します。
 
<出典>NHK公式

<出演者>

・タモリ
・浅野里香(アシスタント)
・草彅剛(ナレーション)

<各回の内容>

2020年1月18日 浜名湖 〜“ウナギといえば浜名湖”なのはなぜ?〜
2020年1月25日 浜松 〜なぜ浜松が楽器の町になった♪〜
2020年2月1日 四万十川 ~“最後の清流”に隠された秘密とは⁉︎〜
2020年2月8日 四万十川・源流へ ~“最後の清流”に隠された秘密とは⁉︎〜
2020年2月15日 三陸リアス ~鉄道がつないだ三陸の夢とは?〜
2020年2月22日 三陸の鉄道 ~鉄道がつないだ三陸の夢とは?〜
2020年2月29日 伊賀忍者 ~なぜ伊賀は“NINJA”の里になったのか?~
2020年3月7日 甲賀・信楽 〜歴史は甲賀で動いた⁉︎〜
2020年3月14日 島原・天草 〜なぜキリシタンは250年も潜伏できた?〜
2020年4月11日 法隆寺 〜なぜ法隆寺は1400年愛され続けるのか?〜
2020年4月18日 奈良・飛鳥 〜なぜ飛鳥は日本の国の礎となったのか?〜

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ブラタモリの感想

50代女性

「天草・島原」回。この回は苦々しい気持ちとすがすがしい気持ちが交錯する回でした。この回の放送があったのは確か3月の始め頃と記憶しておりますが、実は3月の後半に天草・島原を訪れる予定がありましたので、「この回は何が何でも見なければ」、と予告を見たとき意気込んでおりました。ところがなんてことでしょう、私ときたら、あんなに楽しみにしていたのにすっかり忘れてしまっていたのでした。はっと気づいてテレビのスイッチを入れたら終了間際の原城の場面。今回は原城を訪れる予定はありませんでしたので、自分のウッカリに腹立たしいやら情けないやらで地団駄を踏みました。そうこうするうちに天草・島原を訪れる日がやってきました。天草半島の最南端牛深から北上し、崎津教会と太田天主堂を訪れ、あちこちドライブしながらフェリーに乗って島原へ向かう。島原城と島原の街をぶらぶら散歩して、雲仙を超え長崎市街へ。島原は二度目の訪問だったので少し急ぎ気味でしたが、前回訪れることができなかった場所にも行けて大変満喫いたしました。その後も九州の北部を訪れたくさんのキリスト教会を見学し大変満足して帰宅の途に着きました。世の中が例の件で騒がしさを増し、私もバタバタとした日常を送っていましたが、ふと新聞のラテ欄を見たとき、この回の再放送があるという記事が目に飛び込んできました。今回は絶対見逃してはならぬ、とお腹に力を込め、なんとか無事再放送時間まで覚えていることが出来ました。なかなか遅い時間でしたが、テレビの前に膝を揃えて番組の放送を待ちます。そして番組開始、最初の場面、私が見逃した崎津教会にタモリさん一行が訪れているではありませんか。崎津教会は小さな町の中にある小さな教会のため、訪問するのに随時迷いました。狭い道を慣れない大きなレンタカーでぐるぐるまわっていると出てきた小さな看板。ようやく見つけた!小躍りして教会に駆け込みました。小さな町の小さな教会、側には美しい海。ここで隠れキリシタンがかつてお祈りをしていたのかと感慨に耽りながら引き返すと、なぜか小高い丘の上に神社がある。登ってみました。その神社から見た教会を含む景色の美しいこと。そしてその訪れた神社にタモリさん一行が私と同じように教会を眺めている。なんだか不思議な気持ちになりました…。

60代男性

「ブラタモリ」は大体いつも見ています。私はバラエテイのようなものより、こういうなにかについて知識を上げてくれるものが好きですね。この番組はタモリさんの博学ぶりが随所に出てきますね。結構雑学的なものとか、歴史とか地質学等の知識も大分あるものだと感心します。そして毎回私の行ったことのない場所の裏側とかも調べて見せてくれます。これはああそうなのかと、新しい知識が増えたように感じます。それと一緒についているアナウンサーの姉さんの受け答えがいいですね。まず素人ぽいところが、私たちと同じだと思いました。よくこの番組もあまり知られていない所を掘り起こして映像にしてくれます。その時に、その地域とか歴史に詳しい人がゲストとか指導役とかで出てきます。よくそのような博学の人を見つけてくるものだと思いました。その人が親切に説明してくれるのが参考になります。私たちが観光に行ったとこも出てきますが、私たちはただ観光で行っただけですので、その深い中身と歴史まではなかなか知り得ません。その点この番組は結構掘り下げた歴史まで解説してくれます。これはまるで学校で勉強を教わっているように感じます。普段ざっと通りすぎてしまうとこも、いろいろと訳があるものだと感じさせられます。このように日本の行ったこともないとことか、また前に行ったこともあるとこも出てきます。しかしそれぞれ新しいことを教えてくれていい番組だと思っています。たまに海外もあったような気がしますが、それも参考になりますね。まあ教養番組だと思います。ずっと続けてもらいたい企画だと思います。

40代女性

「水の国・熊本」という、熊本を巡る回が面白かったです。これまで、熊本と言えば、“火の国の女”というイメージが強く、“水の国”というのはピンときませんでしたが、本当に水が豊富な土地なんだなと思いました。以前、熊本城にスポットを当てた回を見たことがありましたが、熊本の水にも熊本城を建てた加藤清正が深く関わっていたことがわかりました。今は、日本中どこでもかなり美味しい水が飲めるようになっていますが、熊本に住んでいた友人が「熊本の水は地下水だから美味しい」と言っていたことを思い出しました。段丘好きで、とても詳しいタモリさんは、やっぱり地下のことに興味があるのかなと感じたのは、地下水が2階建てで、大きな土管から熊本市民の7万人分の水がまかなえると知った時に、とても感心していたところです。また、その地下から湧き出す水と、観光名所として有名な水前寺譲成趣園は、阿蘇山の噴火と関係があるとは、考えたこともなかったので、今、豊富な美味しい水が飲めるのは、大昔の出来事からずっと繋がっていることを改めて知りました。そして、最近は、熊本と言えば、やっぱり“くまモン”で、ちょっとキャラクターは苦手そうなタモリさんと微妙なからみも良かったと思います。

40代男性

タモリがいいともを卒業して新たに旅番組を始め、その番組が人気になってます。毎日の仕事に休みを与えるべくしてタモリを休ませたかったのではないかという国民の思いとは、裏腹に全国各地を毎週飛び回っているタモリは、徐々にさすがに老けてきて、段々と老人になってきています。そんな外見に少し心配するような気持ちがある人も現れているのではないでしょうか。人は老けるとどうしても心配されがちであり、老体に鞭打ち働かされているような様子をイメージするのではないかと思います。しかし、そんな人の気持ちは全く解せずタモリ自身は本当に旅を楽しんでいる様子であります。特に地質学については精通しているタモリは、多くの地形の変化に興味を示されているようで、その様子がつぶさに垣間見れる回が度々現れてきます。何億年前からの地形の隆起によって起こった時の流れを感じる地層の現れ、そういった地層を見るのが大変好きなのでしょう、傍から見ててもわかるぐらい番組が面白く出来上がっています。日によっては、旅番組ではなくただの地層学、地質学にスポットを浴びた教養番組だと思われるような内容もありますが、それでもタモリならではの面白いトークとナレーションとして出演している草薙剛のシリアスなツッコミも面白く毎回楽しみに見てます。

50代男性

ブラタモリの放送が開始された当時は主に首都圏を中心とした、例えば高低差、暗渠、断層といった普段は意識しないで過ごしている場所を辿りながら、タモリ曰く「土地の記憶」に思いを馳せるというマニアックな番組テーマがそれまでの紀行・探訪番組とは異なる趣向として新鮮で、毎回の放送を楽しんでいました。また、同行する女性アナウンサーとの放送回を重ねるごとに台本を重要視しなくなっていく力の抜けたやり取りも視聴者には受けているのではないかと思います。私の中では、ブラタモリと聞くと久保田祐佳アナウンサーの印象が強く、確か原宿近辺を紹介する放送回だったと思いますが、カメラが回る中、タモリ、専門家の先生、久保田アナの三人でたこ焼きを頬張る場面にこの番組のアドリブ収録の妙を感じました。そして、タモリの看板番組であった「笑っていいとも!」が終了して自由の利く身になったことから初めて首都圏を出て京都市街から琵琶湖疎水を巡る回は、その後のブラタモリ人気を決定づけるターニングポイントだったと思います。しかも、1回のみの同行者でしたが、首藤奈知子アナウンサーファンにも忘れられない放送回になりました。その後も同行アナウンサーが次々に引き継がれて全国各地を巡るようになり、益々楽しい番組になっていると思います。4月からは浅野里香アナウンサーにバトンタッチされ、今後も期待しています。

30代女性

タモリさんの知識の深さに毎回驚かされる番組です。街を散策しながら目についた場所やモノからその土地の歴史を辿っていくという少しマニアックにも感じる番組ですが、自分が知っている街並みから知らなかった歴史を知ることができ、学校では教わっていないディープな歴史への関心を深めることができます。番組開始当初は東京中心でしたが、全国各地へと広がっていくことで番組の人気を感じることができます。また、全国に広がってもタモリさんの知識の深さは健在であり、知らなかった内容を知れたことよりもタモリさんが凄いという思いが上回ることが多いです。番組ではタモリさんとアナウンサー、そして専門家というメンバーで散策するのですが、専門家と対等に歴史についての会話を繰り広げる様子や専門家に「さすが!」と言わせるタモリさんの姿にタモリさんでないと成り立たない番組だと感じさせます。また、歩きながら話題が広がり盛り上がっていく様子にアットホーム感を感じられ、その緩い感じが内容に堅苦しさを感じさせません。本来進行役であるはずのアナウンサーの方が視聴者に近い立ち位置となっている姿にも親近感を感じることができます。驚きと発見を繰り返しながら歴史を学べる面白い番組です。

50代女性

『笑っていいとも』が終わってから各地に飛び出したタモリさん。『タモリ倶楽部』でもそうですが、タモリさんと知識の広さと深さではいつも感心します。私が住んでいたこともある川越では観光で有名な「蔵の街」をすっ飛ばしてお隣の新河岸に行って川越の舟運についてレクチャーを受けていました。地元の歴史家の方が何か質問すると必ずと言っていいほど、タモリさんは気づいて答えを当ててしまいます。坂とか地層とか地理学に詳しいと歴史のことにも詳しくなるのでしょうか。NHKの女性アナウンサーが何人も担当しましたが、私が好きだったのは初代の久保田祐佳アナウンサーです。聡明な感じの久保田アナはタモリさんの話を聞くのが上手で、タモリさんから学んでいる姿勢が見えました。築地に行った時だったと思いますが、「今日は何も食べないから」とタモリさんが言うと「せっかく築地に来たのにたぁ」と久保田アナは珍しく不満そうに言い「こう見えてけっこう食うし、飲むんだよ」と笑いながらタモリさんが言いました。出演者同士が仲が良いのは見ていても嬉しくなります。『ブラタモリ』でタモリさんのアシスタントをした女性アナウンサーは結婚したり、担当番組を持ったりといい感じになっています。タモリさんは「あげちん」かもしれません。私が1番好きだったのは、何処に行った時かはわすれましたが、おばさん(失礼)がセキセイインコを握って歩いていたことです。タモリさんが驚くとセキセイインコは握られて外に行くのが好きなだと言っていました。テーマとは全く関係ないけれど、セキセイインコを握って散歩するおばさんを目撃したタモリさんが面白かったです。津々浦々なタモリさん、今度は何処に行くんでしょうか。

30代男性

長らく民放の帯の番組に出演されていて、なかなか好きな事が出来なかったと思われるタモリさんですが、その番組も終了してブラタモリでも遠方へロケに行けるようになってからは日本に留まらず海外へも訪れてロケをするなど幅の広い番組になってきたと思います。何よりタモリさんの見識の広さには毎回、脅かされる事が多くて博識な方だと思えるところが多々あります。一緒にロケに同行している専門家ですら驚いているところを見ると本当に凄いと思います。番組内ではよく、地質の事について触れられる機会が多く登場しますが、いつも地層を見ただけでこれはいつの時代の物で何と言う鉱石であるという事を瞬時に当てられてしまう所は本当に地質について詳しいのだと感心して見ています。この番組のもう一つの特徴でもあるのがタモリさんの大好きな鉄道関係の施設や車両を紹介するときです。少々、マニアック過ぎて一緒に同行している女子アナウンサーの方のリアクションがあまりいまいちな時でも我が道を行っていて、まるで子供のように楽しそうに鉄道の事を語っている姿は見ていてこちらも楽しくなってしまう程です。一見すると一部の方しか見ていないような番組と思われますがキチンとナレーションでも解説をされていて詳しくない人でも楽しめる内容になっているところが良いと思いました。

30代女性

ブラタモリは、タモリさんの豊富な雑学を聞ける大人な旅番組だと思いました。タモリさんのゆっくりした口調も心地よく、まったりリラックスしながら見れるのも魅力です。歴代アシスタント皆さんも感じ良く、出しゃばらない謙虚な雰囲気が好感を持てました。ブラタモリの中で、特に印象に残ったのは仙台の特集です。仙台で伊達政宗にまつまる観光ルートを周り、伊達政宗の行動を推測しながら見れたのが良かったです。そして、仙台の魅力もタモリさんが話しており、地域毎にピッタリなコメントを残すのもさすがだと感じました。タモリさんの独特の感性や雰囲気が番組で際立っており、ますますタモリさんのファンになりました。他のバラエティー番組で見るタモリさんよりも、ブラタモリで見るタモリさんの方が、よりナチュラルに感じ親近感が湧きました。そして、ブラタモリを見ると自然と知識を増やすことができ、得をした気分になります。専門家とタモリさんの掛け合いも見応えがあり、タモリさんの頭の良さが際立ちます。様々な観光地域を別の角度から特集し、観光地の魅力を更に広げてくれるのがブラタモリだと思いました。タモリさんが旅を楽しんでいる様子が見れるのも嬉しいです。

40代男性

普段はあまりテレビを観ない私ですが、ブラタモリはたまに観るようにしています。私自身、写真撮影を兼ねてぶらりと散策するのが好きなので、タモリさんの博識を披露しながらの散歩はとても興味深く、自分のぶらりにも参考になるからです。こういったぶらりと散策する番組が最近は多くありますが、やはり出演者の知識の差が強く出るように感じます。そんな意味で、深い知識をお持ちのタモリさんはぴったりの役だと思っています。さて、2020年の4月に、番組が私の地元奈良へいらして下さり、レア&コアなスポットを訪ねておられました。法隆寺の回です。もちろん有名人&取材だからこその優遇?の法隆寺の非公開エリアにも感動しましたが、私自身は法隆寺のとなり町である北葛城郡王寺町にある明神山への登山が印象に残りました。私の散歩コースと重なることもあり、初めて知ることも多くありました。この回の放送後、明神山への登山客が圧倒的に増え、ゴールデンウィークには登山自粛要請が出たほどで、この番組の影響力を思い知りました。また、普段は1500円という高額の拝観料を避けて無料のエリアしか散策しなかった法隆寺も、この番組を観たあと、数年ぶりに拝観してきました。